遺稿集第2分冊 「洗心余滴」       13,01,30

   昨年暮れから家内の伯父Kさんのご尊父の遺稿集「洗心余滴」第2分冊の第1集と第2集の
  2冊を読みふけっていたが、読み応えのある労作をようやく読み終えたので読書感を記す。
 
   翁は明治18年(1883)生まれ、昭和48年(1973)の春に90歳で没する直前まで健筆をふる
  っていた。この文集は、既に紹介した第一分冊「ざれごと」を書き終えた3年後、再び筆を執
  り昭和39年から48年にかけて、医事新報に「洗心余滴」と題して綴った随筆集で、難解な漢
  字の多い文章をお孫さん達が丹念に読み取ってタイプ製本したものである。膨大なるがゆ
  えに第一集と第二集の分冊とし、それぞれ160ページを超えて1ページ3段にびっしりと文章
  が収められている。復刻・限定出版の貴重な秘蔵の私家本2冊である。

   翁が「洗心余滴」を書き終えたのが90歳の春、最終章の掲載された医事新報が自宅に届
  いたのは、亡くなった5月4日の翌日だったという。人生最後の10年で綴った99章だったが、
  幼少時代を含む記憶は鮮明で、筆力も衰えを見せず、人生の最終期に来し方を振り返り、
  心に残る諸々の事象と縁のあった人々への思いを赤裸々に、時には科学者の眼を持ち、
  折々に諧謔を弄しつつ想いのたけを吐露している。

   驚くべきことだが、亡くなる直前までほぼ2か月に1度の割合で怜悧な観察眼で世相を切っ
  た鋭い投稿を続けた事であり、その記憶力・観察力の確かさである。例を挙げよう。
   第93章「待たるる巨人の出現」から抜粋。

   「・・前略・・・天下の形勢は尋常ではない。国の内外に何ごとか大事が持ち上がりそうな
  予感がして、昭和の元禄だなんて、今日一日の享楽にうつつをぬかしていて良いものだろ
  うか。我が国の過去の歴史には、数え切れぬほどの危機があった。しかしその多くは国内
  だけのこと盥の中の嵐だったから、どちらに転んでも国の存亡には拘わりがなかったが、
  今はそうはいかぬ。
   国交は本来不安定なもので、今日の味方は明日の敵になりかねない。大国は常に力を
  温存していて、いつでも襲いかかろうとする猛禽の様相をしている。・・中略・・
   今日の政治の主権は内閣総理大臣が握っているのだが、その時々の衆議院の多数党
  の首領というだけのことで、必ずしも全国民の信頼を勝ち得ているとは限らず、もとより英
  傑でも豪傑でもない。・・中略・・ 現代の全国民が挙って渇望するものは、巨人的首相の
  出現である。弘く天下に目を配って、近い将来に我が国を背負って立つにふさわしい人傑
  なり、その卵なりがいるかどうかを展望してみるに、いない、いない、全くいない。
   現在の政治家の中にも、及第点の取れそうな若手の人物が皆無ではないが、果たして
  その中に、高杉晋作や、武市半平太や坂本竜馬や、下っては大久保利通や西郷隆盛に
  匹敵するような巨人が伏在するだろうか。何は然れ、現在只今、わが国民の大多数が
  干天の慈雨の如く仰望するものは、巨大なる偉人の出現ではあるまいか。・・後略・・・」

   世の中がいざなぎ景気に湧く昭和46年、翁が亡くなる1年半前、89歳の時の警鐘である。
  翁の警鐘は全く現代にも通じるものがある。

   最晩年の春のある日、突然「碁を打とう」とご子息(私の囲碁の師匠)に語りかけ、1時
  間余りしっかりと碁を打ちきって満足したように床に入り、1週間後に静かに息を引き取
  ったという。享年90歳。 土佐の佐川に生まれ、土佐の維新の志士の影響を直接受け、
  岡山の六高で青春を過ごし、日清・日露戦争の凱旋将軍を駅頭で目の当たりにし、東京
  帝大医学部で入澤達吉教授の薫陶を受けて最新医学を学び、博学で多彩な趣味を持ち、
  名を成した各界の偉材達と広く交友関係を持ち、明治・大正・昭和の激動を生き切った
  第一級の老内科医のまさに大往生だった。