レ・ミゼラブル。    13,04,08

    邦訳「ああ無情」の映画を見たのは子供のころ、たしか早川雪舟主演の映画だった記憶がある。
   ジャン・バルジャンはパン1枚を盗んだ罪と脱獄の罪で19年も牢獄に入れられ、釈放後に修道院
   の銀の食器を盗んで逃亡したが、ミリエル司教の深い愛情によって救われ、生涯人のために尽く
   す決心をする。執拗なジャベール刑事との長い追跡・逃亡劇、度重なる逮捕と脱獄、金髪と歯を
   売って娘コゼットの養育費に充てた貧しい母親ファンティーヌ、事業に成功し市長にまで登りつめ
   たジャンバルジャンがコゼットを我が子同様に養育したが最後まで自分の過去を隠し続けた事、
   などの印象が残っているが、その他はあまり覚えていない。勿論ヴィクトル・ユーゴーの長編小説
   は読んだことがない。

    先日新潟を訪問した際、友人夫妻が映画”レ・ミゼラブル”を絶賛していたので、触発されて横
   須賀の映画館に観に行ってきた。この映画はミュージカルなので筋書きを追うのに苦労したが、
   さすがに今年度のアカデミー賞にノミネートされ、映画の最後の歌「民衆の歌」(Do you hear the
    people sing? )は世界各国で評判の歌というだけあって感動的なラストシーンだった。

    人間の記憶や印象などは実に曖昧なもので、時代背景は18~19世紀前半の、フランス革命
   から王政復古、ナポレオン帝政、共和制と激動するフランスが舞台なのだが、なにせ子供の記
   憶なので、小説の粗筋は知っているようでもフランスの歴史が描かれているとはついぞ記憶に
   ないことだった。

    1832年6月5日、後に6月暴動と呼ばれたパリの民衆蜂起と官憲による弾圧のシーンは60年
   安保を思い出さずにいられないものだった。権力に抵抗する純粋な精神の高揚は正にあの時
   と同じだった。

    帰宅後、パソコンのyou tubeを開いて映画の最後の歌の「民衆の歌」を聞いた。しばし映画と
   音楽の余韻に浸った時、追いかけるように新潟の友人が小説「レ・ミゼラブル百六景」を是非
   読めと連絡してきた。映画と音楽と小説の洪水だった。文春文庫版の鹿島茂の小説を読んで
   驚いた。小説と云うよりも、粗筋を追いながら当時の19世紀の木版画106枚の挿絵をふんだん
   に使って小説に登場する場面場面を微にいり細を穿って解説した時代考証の労作本だった。

    古典文学を学ぶということはこういうことかと今更ながら目から鱗だった。この小説が生まれた
   時代の政治・文化・風俗・習慣等の時代背景の全て、またモデルと思われる人物までも調べた
   正に時代考証そのものだった。18,19世紀のフランスの歴史書でもあり社会学書ともいえるこ
   の本を読むと、小説のストーリーはもとより、当時の社会風習、特にパリの貧困階層の悲惨な
   現実がよく理解できる。「レ・ミゼラブル」というタイトルは、単に「悲惨な人々」というにとどまらず、
   「悲惨な社会の弱者」という意味を併せ持つことを理解できる。好著である。

    60年ものその昔、世界史の受験参考書として定評のあった吉岡力の赤表紙の「世界史」をぼ
   ろぼろになるまで読んで暗記したものだが、「レ・ミゼラブル」の時代がフランス革命前後の激動
   のフランスであることを改めて思い知った。久しく忘れていて記憶も確かではないが、1790年代
   にロビスピエールの恐怖政治によりギロチンの断頭台に消えたマリー・アントワネット王妃や、
   ジャコバン派のダントンらの政敵たち、遂には彼自身もテミドールの反動でギロチンにかけられ
   ることになるフランスの血で血を洗う革命史は、ナポレオン1世の欧州制覇から始まるスケール
   の大きさで、暗殺に明け暮れた幕末の維新史とは違う凄まじさがあったと記憶している。フラン
   スの三色旗の誕生には数々の血なまぐさい革命と解放の歴史が刻まれている。

    独裁者による恐怖政治は、結局民衆によって断罪されることを北朝鮮は知るべきであろう。

    久し振りに受験勉強時代の高校生に帰った気分になった。
   鹿島茂の小説「レ・ミゼラブル106景」のまえがきに気に入った文章がある。「世の中には、誰で
   も題名とあらすじぐらいは知っているが実際には誰も読んだことのない<世界の名作>という
   ものが存在している。これ等の名作は大人の親切心で<少年少女世界文学全集>などに収
   められていて、こうした抄訳本を読んだか、映画やテレビで見たかで、読みもしないのになんと
   なく読んだ気になってしまうものである。ヴィクトル・ユーゴ―の<レ・ミゼラブル>は幸か不幸
   かその代表的な本で、仏文学者も含めてほとんどの人は多分原作を読了していない。」 

    「成る程。俺もそうだ。」と心当たりのある人も多かろう。鹿島茂の指摘通り、私もその「ほとん
   どの人」に当て嵌まる「読みもしないで粗筋を知っている読者」の一人である。