ミミズの戯言97、ああ栄冠は君に輝く。 ![]() (1)熱暑の中、連日甲子園は燃えている。 今年は100回記念大会。開会式でレジェンド松井さんが母校星稜高校ナインの前で始球式 を務めるなどの話題を呼んだが、私が注目したのは第1回の地方大会から参加し続けている 参加校15校の主将が開会式に参加したこと。 全国には1915年(大4)に開催された「全国中学校優勝野球大会」の第1回から今夏まで、 1度も欠かさず地方大会に参加している学校が15校ある。この15校の主将が大会メッセージ の「ありがとう これからも」と、キャッチフレーズ「本気の夏 100回目」の横断幕を掲げて行 進した。 行進したのは旧校名で、愛知四中、愛知一中、岐阜中、同志社中、京都五中、京都一商、 市岡中、関西学院中、神戸一中、神戸二中、和歌山中、鳥取中、米子中、松江中、杵築中 の15校。 愛知県や岐阜県、京都、大阪、兵庫、和歌山、鳥取、島根と関西勢ばかりで、東京や東北、 四国や九州ではまだ地方大会が開催されていないことになる。この時期1915年(大4)はまだ まだ全国的に中学校野球は普及していなかった証左だろう。 私の出身校岩手県の一関中学校は、翌1916年(大5)に豊中球場で開かれた第2回「全国 中学校優勝野球大会」に東北で唯一の代表として参加している。歴史ある野球の古豪である。 この時の全国大会への出場校はわずか12校のみ。1回戦は対京都2中、3対2で勝利、続く 準々決勝は対市岡中、8対0で負け、大会史上初のノーヒットノーラン負けとなっている。不名 誉な記録だが記念すべき記録である。因みに優勝は慶應普通部。 つまり1916年(大5)には地方大会が東北でも開催され、我が母校が勝ち抜いて全国大会 に出場できたのだろう。全国の中学校に野球が広まった黎明期がこのころなのだろう。 プロ野球では決してみられないきびきびとしたプレー、勝っても負けても感動を与えてくれる 高校野球のファンは多い。1948年に作られた大会歌、「栄冠は君に輝く」を聞き、真っ黒に 日焼けした高校球児の全力プレーの瞬間を見、熱心な応援団の声援を聞き、勝利の校歌を 聞くと、なぜか感動して涙腺が緩んでしまう。私も年寄りになったものだ。 (2)NHKの「歴史秘話ヒストリア」に我が母校野球部が登場。 高校時代の友人のブログを見ていたら、8月1日のNHKの「歴史秘話ヒストリア」で高校野球 100回目を記念して「8月15日のプレーボール、高校野球戦火の中の青春」を放送していたと の記事があった。この記事に我が母校一関中学( 現一関一高)の野球部の話が多く出てい たというので、見逃したのを残念に思っていたら8月4日に再放送されたので見ることができた。 戦前の野球部の名門だった母校だが、1937年の日中戦争以降、野球に対する逆風が強ま り、41年には甲子園大会が中止となった。野球部は廃部となり野球道具はずべて廃却処分と なった。 1945年8月終戦、全国的に徐々に野球が復活したが、我が母校にも他校同様道具類は圧 倒的に不足していた。しかし、戦前剛球投手として将来を嘱望されていたエースピッチャーの 「阿部正」が、召集され戦死する直前に校舎の屋根裏に隠しておいた野球道具が見つかり、 阿部の、野球を復活させたい夢をかなえたいという執念が実って野球部が見事に復活した。 終戦の翌年1946年8月15日、6年ぶりに全国野球大会が復活し、ついに阿部が夢見た西宮 球場(甲子園はまだ米軍に接収中)に母校が登場。一関中学校は惜しくも鹿児島商業に敗れ たが、その陰には戦争に翻弄された伝説のエースの悲劇があったという放送内容だった。 (友人のブログより) NHKの再放送を見て私はいくつかの不満があった。 一つは、鹿児島商業に敗れたその日の夜のこと。当時は食料不足で選手たちは食べるもの にも苦労していた。鹿児島商業の面々はサツマイモで空腹を満たして戦っていたという。 しかし我が母校のOBの熱血漢Y氏は地元若柳の農家を駆け回り、大量のコメをひそかに 入手して牛の背中に乗せて学校に運び出し、選手たちに担がせて西宮に持参して、選手たち に銀シャリを食べさせ試合に臨ませている。しかし戦いに敗れた夜、残ったコメを持って鹿児 島商業の宿舎を訪れ、コメをすべて提供し、次戦の健闘を期待したという実話である。この 実話は今でも鹿児島商業に記録として残されているという。 「歴史秘話ヒストリア」というからにはこれこそ放送にふさわしい秘話ではないのか、NHKの 下手なプロデュースで感動の場面を無駄に捨ててしまった。 ふたつ目は当時の田村投手のワインドアップのこと。映像では投球する前にグルグルと 5回も6回も腕を振り回して打者を幻惑したと面白げに紹介していたが、実際の田村投手は せいぜい2~3回ワインドアップしていたにすぎない。興味本位の駄作である。 三つめは鹿児島商業の選手たちが背中のリックサックに米を入れていて、警官から闇市 商売に疑われる場面があったこと。そんなことはない。宿舎で我が母校のY先輩から差し入 れされた貴重なコメをその夜腹いっぱいに食べている。残念ながら銀シャリの効果も空しく、 試合は翌日京都2中に負けてしまったが・・。 これらの逸話は、母校一関一高の4年先輩の作家・及川和男さんの「甲子園への遠い道」 (北上書房)に詳しく載っている。NHKもこの本を題材に脚本を書いていれば正しい「歴史秘 話ヒストリア」になったものを、と取材した記者の怠慢さを残念に思った次第。 |