ミミズの戯言84、蕎麦好き。  17,07,09

   夏目漱石は正岡子規の親友として知られているが、子規の有名な代表作である
  「柿食えば 鐘がなるなり 法隆寺」は、漱石の句 「鐘搗けば 銀杏散るなり 建
  長寺 」にヒントを得たとの逸話はあまり知られていない。

   他人の句や発想にヒントをえて触発されるのは子規ならずとも自然なことである。
  問題解決の手法として東京工業大学の川喜多二郎教授が開発したKJ法は、多く
  の企業で活用されたが、この手法も他人のアイデアに乗ってさらに別の優れた発
  想へと発展させる人間の頭脳に着目した手法である。

   人が行う創作行為には当然そういう面がある。画家が他人の絵にヒントを得て
  傑作を描いたり、小説家が同様に傑作を書くのも多分に他人の影響を受けている
  事が多い。

   世にいう蕎麦好きもそれにやや似ている。通といわれる人が「あそこの蕎麦は
  旨い」といえば、別の人が「それならあそこの方が旨い」という。ついついそうかな
  と思い足を運んでみる。蕎麦の味を知り、店の場所を知ると、いっぱしの蕎麦通
  になったような気持ちになる。すなわち、蕎麦通に育てられて自分も蕎麦通にな
  るのは絵描きや小説家の成長と変わりはない。

   あちこちに宣伝して次第に噂が広まり、自分が行った店は美味しい店として定
  着する。遂には美味しい店100選などともてはやされることになる。

   たしかに美味しいには違いないが、ブランドに弱いのが人間の弱点でもあり、
  この店は旨い店だと無理に納得している面も否定できない。

   かくして旨い店を知っているというアドバンテージがその人を蕎麦通、蕎麦好き
  として世間は認知する。蕎麦屋を知っているひとが本当の蕎麦好きだとは限らな
  い。蕎麦通と蕎麦屋通とはまるで違う。

   鎌倉に美味しい蕎麦屋10店があり、出色といわれる三大蕎麦屋があって、いず
  れもひっそりとした店構えで客を迎えてくれる。宣伝はしないから客は少なく、リピ
  ーターで保っているような店である。天ぷらや薬味は一切出さない10割蕎麦だけ
  のこだわりが通を喜ばせるのだが、これも口伝えで蕎麦好きの間で評判になる。

   この3つの店を知っているだけで私はいっぱしの蕎麦通(蕎麦屋通?)の仲間
  入りをしている。蕎麦好きの薀蓄は落語の江戸っ子の「そばつゆ」に限らない。
  本当の蕎麦好きと、情報を知っているだけの偽物の蕎麦好きの区別は判然とし
  ない。世の中は得てしてそのようなものである。

   先日都議選が行われ小池氏率いる都民ファーストが地滑り的に圧勝した。
  ブームになって選挙戦で圧勝したケースは過去にもざらにあった。古くは「山が
  動いた」で知られる土井たか子氏の社会党、2大政党時代の再現といわれた民
  主党政権などはいずれも浮動票を取り込んだ圧倒的な勝利だった。しかしいず
  れも短命に終わっている。

   今回の都議選も密室化した都議会に風穴を開けた小池旋風が都民の支持を
  得た面は否定しないが、それ以上に安倍自民党の重なる失点が自滅を招いた
  とみるのが妥当だろう。

   「共謀罪」の強行採決、首相の一方的な改憲の段取り表明、森友、加計学園
  を巡る首相と官僚の献金疑惑、稲田防衛相の「自衛隊の政治利用」発言、豊
  田議員の暴言暴力問題、下村都議連会長の加計献金疑惑、など、さすがの自
  民党びいき達も愛想を尽かして都民ファーストに一票を投じたのだろう。

   問題は付和雷同の浮動票の行方が選挙の勝敗を決めるという事だろう。
  本物の筋金入りの政治通と、付和雷同の浮動票の違いを知っておくことだろう。
  本物の蕎麦通が単なる蕎麦屋通とは違うように、深く政治を憂う批判票と一過
  性の批判票では批判の重みと継続性が違う。小池さんは浮かれてはいけない。

   民意は振り子の原理に従う。小池ブームもいずれ飽きが来て民心は離れて
  ゆく。そして自民党に回帰していく。民心を繋ぎ止めるのはあくなき改革の継続
  と、驕りのない謙虚な初心貫徹しかない。パッと燃えてパッと消えた幾多の歴史
  に学ぶべきだろう。

   蕎麦好きだって蕎麦好きに学ぶ。まして政治家たるものは、「賢者は歴史に
  学び、愚者は経験に学ぶ 」(ビスマルク)の教訓を肝に銘ずるべきであろう。