ミミズの戯言82、方円の器。  17,03,12

   良い友に巡り合うことはその人の持って生まれた天性の資質にもよるが、多分に
  運の良し悪しによることも多い。良い友が良い友を呼び、幸運が幸運を呼んでくれ
  ることが多い。幸運にも良い友に巡り合う人もいれば、不幸にして悪い友から離れ
  られない人もいる。

   古くは老子の言葉に 「水は方円の器に従い、人は善悪の友に寄る。」 というの
  がある。固有の形をもたない水は容器の形に従って四角く(方)も丸く(円)もなると
  同様に、人は環境や人間関係に感化されて、良くも悪くもなるという意味だろう。

   人は、巡り合って親しくなった人の人柄や考え方などに多大な影響を受けて育ち
  そして人格が形成されていく。

   人との巡り合いには必然と偶然があるようだ。生を受けた親に感化されて育つ
  のは必然だし、親しい友人、得難い先輩、切磋琢磨した同僚・知人などに影響を
  受けるのは多分に偶然が支配している。

   幸運なことに私は、子供の頃に影響を受けた恩人と幼友達、多感な青春時代に
  影響を受けた恩師や学友達、高じて中高年時代に影響を受けた諸先輩などに恵
  まれたが、なかでも未熟だった私にとって、世の中の見方や物の考え方、仲間の
  大切さや連帯意識など、将来の骨格をなす人格形成に最も影響を受けたのは、
  若い頃の苦学生時代の寮生仲間だったように思う。

   自治寮での学生時代の切磋琢磨がどんなに自分の肥やしになったか、思い出
  は尽きない。彼らのかなりの仲間とは、半世紀を超えた今でも、親しく付き合い、
  交流を深めている。なんといっても彼等とは利害関係とか損得関係がないから、
  純粋に学生時代に帰って心おきなく付き合うことが出来る。有り難い事である。

   その他にも随分感化されて今の自分がある恩人たちが数多くいる。鬼籍に入
  られた恩人や友人、まだ健在な恩人達など、思い出せば懐かしく切ない気持ち
  になる。過去の思い出に浸るのは、もうすぐ満80歳になる老人特有の回顧癖に
  違いない。

   「人は1人の友を新しく得た時、1人の友を失っている。」 という。人は生涯に
  そんなに沢山の友と付き合う事は出来ない。おのずから限度がある。勤め人時
  代に毎日のように、入れ代わり立ち代わり頻繁に名刺交換をした時に、交友関
  係とはそんなものだろうと思ったものだが、今では新しい友よりも失う友が多く、
  昔日の交友関係の賑わいはない。最盛期には300を超えた年賀状のやり取りも、
  極力絞った今ではようやく数十人になった。

   交友が広いのも結構だが、心を許せて心が通い合う一人の友がいる事の方が
  ずっと有り難い。そんな友がいる人生は幸せだとつくづく思う。「水は方円の器に
  随い、人は善悪の友に寄る。」からである。

   最近新聞テレビで連日報道されている某学園理事長のあきれた言動や、北朝
  鮮の金正恩主席の常軌を逸した言動を見るにつけ、おそらくは自分の過ちを諌
  めてくれる得難い友人がいなかったであろうと思うと、つくづく不幸で可哀相な人
  生だと思う。

   また韓国の朴槿恵前大統領の親しい友人との疑惑は、例え心を許せる友でも
  油断をすると誤った交友関係に陥る危険があることを教えてくれ、「人は善悪の
  友に寄る。」の好例といえるだろう。心すべきことである。