ミミズの戯言71、 突然死。 16,02,11 悲しい話だが、博識で知られる文化財研究会の仲間のKさんが突然死で亡くなった。 あっけない最後だった。早朝に自宅の前で鉄くずのごみを出していて突然庭先で倒れ そのまま亡くなったという。早朝の寒さで心筋梗塞を起こしたらしい。つい1か月前に 新年会でお会いして、お互いの健康を確かめ合ったばかりだった。 病院通いの仲間でもあり、「六文銭の渡し賃がないから三途の川を渡れないよ」 と お互いに冗談を言い合ったばかりであった。六文銭が揃うのが早すぎる。寂しい。 遠慮のない毒舌家だが、芯は暖かく面倒見の良い得難い先輩だった。神奈川県で も知られた郷土史研究家で、古文書を苦も無く読み解き、古典に詳しく、書家としても 一流の多彩な趣味を持つ人物だった。 K氏を失ってつくづく感じるのは、「生と死は隣りあわせ」で 「目の前の身近な存在」 だということだ。会社員生活を終えて以来、沁みついた会社臭を消そうとして、極端に 交友関係を絞っているが、K氏を始め数少ない得難い先輩や親しい仲間を次々に失 っている。 かなり前から新聞の死亡欄を丹念に見る癖がついている。特に享年と病名である。 自分より若い人の死亡記事が多くなっている。年下だと眉をひそめ、年輩だと経歴 に敬意を表しつつも、さもありなんとホッとする。 自分の死因と享年を知りたいと思う時がある。K氏のように庭先で倒れる突然死だ ろうか、それとも持病の心筋梗塞、糖尿病の合併症だろうか、それとも全く違う老人 特有の病気だろうか。 しかしそれを知ることは神の領域に踏み込む事だから、その日が来るまで、ただ 御心のままに生きるしかない。どっちみち「命の日めくりカレンダー」が確実に1枚ず つ減って、残り少ないことは事実だし、いずれ大晦日がやってくる。 「九条の会」を立ち上げた発起人の一人、三木武夫元首相夫人の三木睦子さんを、 晩年ある会にお呼びした時、懇親会で語っていた言葉を思い出す。「余生をいかに 好奇心を持って生きるか」に尽きる・・・と。 趣味に生きるか、仕事に生きるか、社会に、人の為に生きるか、それぞれ1人1人 が自分の身の丈に見合った「好奇心」を持って余生を楽しめばよいという事だろう。 余生を生きるキーワードは「好奇心」である。人生、好奇心を失った時が ”ジ・エンド” の時である。 まずは「飛ぶ鳥跡を濁さず」のたとえ通り、エンディングノートを完成させておこう。 何年も放置していて、なかなか筆が進まないのは、まだ死が近いと実感できないか らである。娑婆に未練があるからである。 猫の額のような土地家屋は家内に生前贈与した。あとは葬儀や財産分与などを 遺言として整理すればよいだけなのだが・・。 覚悟をして、準備をして、しかし東京オリンピックを元気で迎える気概は捨てない。 なにせ、もうすぐ80歳だというのに、免許証の返上どころか無謀にも、ピカピカの 新車を買ったのだから、好奇心旺盛に家内とあちこちドライブ旅行でもしなければ 元が取れないというものだ。孫との約束でもある。 我々老人の生存確率は1年ごとに急速に下がる。余談だが、これは統計理論で いうポアソン分布に従う筈だから、おそらく私の85歳生存確率は2〜30%程度だ ろう。あと4〜5年生きる確率が五分五分という事だ。例外かあっても五十歩百歩 だ。 「諦観」と「我執」、平たく言えば「弱気」と「強気」が、あっちに行ったりこっちに来 たり、悟りの境地には程遠い、煩悩の繰り返しの昨今である。 |