ミミズの戯言63、川柳。  15,02,22

   「歯が抜けて 蕎麦の食べ方 粋になり 」

   冒頭の川柳はNHKの「クローズアップ現代」でちらっと見かけ、まるで自分のこと
  を言われているような共感の気持ちと、あまりの可笑しさとから家内と一緒につい
  つい笑ってしまった作品。
   歯が抜けると何故食べ方が粋になるのか、そもそも蕎麦の粋な食べ方とは何? 
  などと理屈をこねるのは川柳の鑑賞としてはいただけない。聞いた瞬間どっと沸く
  のは、日頃の不自由なことが意表をついて鮮やかに切り取られて短い句になるの
  で、思わず我が意を得たりと膝を叩いてしまう理屈抜きの共感の故である。

   かって第一生命のサラリーマン川柳が全盛を極めた時代があった。上司と部下、
  職場と家庭、仕事と妻などが主な題材となり、板挟みで苦悩する中堅サラリーマン
  の悲哀をユーモアたっぷりに表現するのが大受けして、我も我もと一杯飲み屋で
  自作しては友人達と憂さを晴らしたものである。

   先日NHKの「クローズアップ現代」が川柳をテーマにして放送をしていた。
  今、60代以上の人々の間で、老いや病、孤独などをユーモアあふれる表現で笑
  い飛ばす「還暦川柳」が人気を集めているそうだ。書店に行けばシルバー川柳の
  関連書籍はなんと累計60万部を超えるベストセラーになっているという。病や介
  護、年金、孤独といった中高年をとりまく不安や課題を、辛いとか苦しいと嘆くの
  ではなく、敢えて笑いに転化する。江戸時代から連綿と続く庶民の逞しい処世の
  知恵である。だから川柳には俳句と違ってペーソスが漂う。

   最近は派遣社員や女性、被災者たちも川柳を詠み始めたそうだ。不安、苦しみ
  は消えないかもしれないが、ユーモアに転化する逞しさに敬意を表したい。興味
  本位に早速近くの書店に行ってみたら、結構色んな川柳の本が並んでいた。

   元来機転がきかないのか閃きがないのか、私には残念ながらユーモアセンス
  に欠けるので、5・7・5の短い言葉でウィットに富んだ川柳を作る才能がないのが
  嘆かわしい。ユーモアセンスとは何か、などとを考えること自体そもそもセンスの
  ない証拠だろう。
  世の中には才能に恵まれた沢山の川柳愛好者がいることに敬服する。作れない
  が作品に触れて成る程と感心してにやりと笑うのは大好きである。何かと厭なこと
  だらけの世の中だから、せめて川柳で憂さ晴らしをしようと大流行するのはもっと
  もなことだ。

   蕎麦の話に戻ると、江戸っ子がそばつゆに少ししか漬けない食べ方を粋といっ
  たのは、単に当時のそばつゆが濃すぎたためだと聞いたことがある。薄いそば
  つゆの時はどっぷりとつけて食べたらしい。「粋」とは合理的な作法でもある。
  そういえばおしゃれな伊達男は寒くてもズボン下をはかない。粋とはやせ我慢で
  もあるようだ。

   久しぶりに自前の手打ちそばを食べたくなって、一昨年の暮れに信州で買って
  使い残しの信州そば粉を取り出して蕎麦を打った。捏ねるときの力の入れ方が
  蕎麦の腰を生む決め手になるが、老齢でその力がないので出来上がりがぼそ
  ぼそになってしまう。家内の力を借りて念入りにそばを打った。二八蕎麦である。
  風味はやや薄れているが腰のある思ったよりも満足な出来だった。

   サバ節とかつお節を混ぜて濃い目のそばつゆを作り、入れ歯の治療中で強く
  かめないので、件の川柳のように音を立ててすする「粋」な食べ方をした。
  落語の「オチ」と同じで、最後は思い切りどっぷりと汁に浸して食べたが、やはり
  こちらの方が私には美味しい。

   最近せっせとスポーツジムでプール歩きをしているので 川柳をもう一句。

     「長生きは したくないねと ジム通い」