ミミズの戯言61、報復の連鎖を憂う。15,02,03
始めに
国会での議論もあったが「イスラム国」という呼称は正式な国家を連想させ適当で
はないので、小欄でも政府見解同様「ISIL」(Islamic state of Iraq and Levant)
と呼称する。
親の仇もうてない侍を腰抜け侍と呼んで世間が蔑んだ時代があった。殴られても
殴り返せない子供を弱虫呼ばわりする親もいた。亡君の仇を打った忠臣蔵の四十七
士はそれ故に称賛を浴びた。仇討ちはいつの時代でも美徳とされた。テロとの戦い
でもそれは変わらない。
2001年9;11の同時多発テロ以来、アメリカは徹底してテロ組織の撲滅を図ってき
た。仇討ちつまりは「報復」である。2003年のイラク戦争で多くの罪のないイラク
国民が空爆で犠牲になって以来、ISILの前身のアルカイダ系過激派はこれに対する
報復の反撃に出て今に至っている。つまり殴られたら殴り返す「報復の連鎖」であ
る。
遂に最悪の事態となった。「テロには決して屈しない」「人命最優先」という二
律背反の解決策を遂に見いだせないまま二人の犠牲者を出した。安倍首相はじめ
政府首脳の努力は水泡に帰した。そもそもこの難しい二律背反を成し遂げる具体策
を首相は持っていたのか疑問だが、決め手に欠ける我が国ではかかる結果をあらか
じめ想定していたのではないかとさえ思われる。「人命最優先」とは世間に対する
常套句であったようにも思われる。日本とヨルダンとISILの三つ巴の人質解放とい
う難しい局面に立たされ、ヨルダン頼みの展開になっては為すべき切り札が日本に
はなくなり最悪の事態を招くことになった。
ISILの暴挙は正に言語道断、許せない暴挙である。テロとは「政治的に対立する
相手国に打撃を与える無差別的な武力行使。」だと思っていたが、およそ政治的な
敵対国とはいえない日本人を拘束して身代金を要求し挙句の果てに殺害に及ぶ行為
は、テロ以前の単なる無法者、ならず者、山賊の仕業であり、神の名を語る資格な
どある筈もない。世界中の穏健なイスラム教徒が怒りを発するのも無理はない。
しかし我々の「理」も「情」も通じないISILではあるが彼等には彼等なりの理屈
はある。第一次世界大戦後の英仏による国境分断と民族迫害、イラク戦争による罪
のない多くの人々の悲劇に対する「報復の論理」である。なぜ世界中の若者が次々
にこの無法なISILに加わろうとするのか、なぜイラク、シリア、レバノン等の地中
海東部一帯に勢力範囲が広がりを見せているのか、そこを冷静に見つめ直す必要が
ある。民主国家の眼という一方の視点だけで判断しては真実が見えてこない。
事件の詳細はメディアが刻々と報じたので割愛するが、中東はじめ世界中で頻繁に
人質が殺害されており、日本の人質殺害事件も「one of all 」として扱われている
ようにも思われる。ヨルダンでは今も水面下で自国の空軍パイロットの救出のため
の人質交換交渉を続けているが、交渉が破裂してよもや「処刑の連鎖」とならない
ことを切に祈る。後藤さんが不幸な結果となりパズルが解き易くなって、ヨルダン
はISILとの人質交換交渉が進み易くなったと考えている節もある。世の中はすべて
表があれば裏があるものである。
昨年8月と11月に2人が拘束されたことを承知で、安倍首相は中東を訪問し、ISIL
と戦うヨルダンなど中東諸国への支持と2億ドルの食糧支援、医療支援を約束した。
これがISILを刺激したのは間違いない。この時期にあえてイスラエル首相と会談し
てISILとの戦いを宣言したことや、米軍の爆撃に参加したヨルダンへの食糧支援を
表明したことが、ISILを刺激し「人質の公開と身代金要求」を招いたとも考えられ
る。首相のいう「積極的平和主義」が裏目に出たと思えなくもない。首相は軽々し
く安易に言葉を使いすぎる。日本とヨルダンの思惑の隙をつき両国の分断を狙うな
ど、交渉術にたけたアラブのしたたかさに比べて、老練な外交姿勢に欠けるきらい
がある。やはりお坊ちゃま宰相の域を出ない。
「国際社会と連携して今後ともテロとは断固戦う。食糧支援、医療支援などの中
東への人道支援はさらに拡充する。」と首相は表明した。「テロリストたちを絶対
に許さない。その罪をかならず償わせる。」とも強調した。いわゆるブッシュ流の
正義の鉄槌である。
ISILが蛇蝎の様に嫌う英米が安倍首相の言う国際社会だとすれば、日本は武力を
行使する英米の一翼を担った敵対勢力だとISILに宣言したに等しく、今後一層テロ
の標的になる覚悟がいる。一国の宰相の高揚した宣言により、ISILの思う壺にはま
る危険が増大したと考えるべきだろう。
願わくば、報復が報復を生む「報復の連鎖」憎しみが憎しみを生む「憎しみの連
鎖」が起きない事を願わずにいられない。仮にISILを殲滅して首相の言う下手人を
法の裁きにかけ処断したとしても、事態が平和裏に解決するとは到底思えない。
次から次と雲霞の様に過激派集団が生まれ、事態はさらに際限なく泥沼化すること
は必至であろう。中東に恒久的な平和が訪れる道は遠い。
突然の人質拘束事件は、緊張した中東情勢を赤裸々に示すよもやと思われる事件
だった。「ここは地の果てアルジェリア・・」と歌われた中東という遠い国の出来
事には、ともすれば対岸の火事としての関心しか持たない日本人が、ようやく身近
な問題として注目した事件だった。人質の身代金要求から人質交換要求と期限設定、
したたかな交渉術。次々にめまぐるしく変わる要求に稚拙な日本外交が翻弄された
事件だった。
中東諸国とは歴史的に良好な関係を保ってきた日本だが、この痛ましい事件は多
くの教訓をもたらした。何よりも無法者の集団ISILにはまともな理屈が通用しない。
現実はそう甘いものではないという厳しい実態を知らされたことである。
そして中東問題は遠い国の話ではなく身近なことだとの認識を全国民が持ったこと、
日本国民とりわけ若者の政治離れが多くなっている昨今、少しは国際政治に関心が
生まれるきっかけになったこと、国民がこのような事件に自分なりの意見を持つ良
い機会になったことが僅かな救いだろう。
日本と欧米と中東諸国の分断を意図するISILの挑発に乗ってはならない。
テロ対策の国際貢献と国内対策については政府・国会で充分な論戦があるのでこれ
に期待するが、国連加盟国との連帯を強化して日本の得意とする民生分野に特化し
戦争に苦しむ世界の弱者・難民に手を差しのべることが後藤さん等の犠牲者に対す
る鎮魂の道だろう。軍事貢献だけは決してあってはならない。
今ほど平和という言葉がむなしい時はない。「戦争」の対極は「平和」だが
「テロ」の対極が「報復」ではあまりにも悲しすぎる。「報復の連鎖」「憎しみの
連鎖」を人間の英知で断ち切りたい。その道を模索し世界に貢献するほか平和国家
日本の進むべき道はない。
いみじくも後藤健二さんは述べている。
「憎むは人の業にあらず、裁きは神の領域。」
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