ミミズの戯言55、真実はいつも薮の中(その1)
                                                14,07,27

    下の写真は私の誕生日、即ち昭和12年7月10日の読売新聞朝刊の一面記事である。
   紙面すべてが3日前に勃発した盧溝橋事件に関する報道一色となっている。記事の冒頭
   には、この事件は中国軍(当時の支那)の発砲に端を発したもので、我が国の行動はす
   べて事理に照らした自衛のための報復であると断じている。


    囲み記事を紹介すると、「盧溝橋事件に関し支那側は種々の逆宣伝を行っているが、
   右についてわが関係当局においては大要左の如き見解の下に我が方の行動は全く自衛
   の範囲を出でてないものである。」と書かれている。

       

    隅々まで読むと実に興味深い。事件を極力穏便に処理しようとして日支双方の軍隊が
   撤退し、和平交渉が始まったが、南京政府や左翼分子の抗日運動もあって交渉が難航し
   た様子が窺われる。後に歴史を紐解けば、この時点では時の首相近衛文麿は戦線不拡
   大方針を掲げ、現地当局に早期妥結を指示している。それが翌7月11日には一転して内
   地3個師団の北支派兵を決定した。停戦交渉の収束に向かっていた現地情勢を無視した
   派兵決定で戦線拡大派を勢いづかせ、また中国側の反発を招き、事件は拡大の一途を
   辿る。遂には蒋介石の宣戦布告を招き、名実ともに支那事変、後の全面的な日中戦争に
   拡大することになる。

    戦線不拡大路線だった近衛首相がなぜ突然戦線拡大に踏み切ったのか、好戦派の軍
   部の圧力に屈したとの見方が有力だが、五摂家筆頭の近衛首相の優柔不断な性格が多
   分に大きな要因でもあったと思われる。蛇足だが、直系の孫である細川護煕氏もまた優
   柔不断な面があるのは血筋なのだろうか興味深い。

    なお7月11日、近衛首相は政財界有力者、新聞・通信関係者代表らを首相官邸に集め、
   国内世論統一のため協力を要請。以降、有力紙の論調は、「強硬論」が主流となっていく。
   新聞論調は得てしてこのようなもので、さらに進んで太平洋戦争に及ぶと各新聞は好戦
   的な論調一色に塗りつぶされ国民大衆をミスリードしていく。新聞記事を金科玉条のよう
   に信奉した国民は敗戦という大きな犠牲を払うことになる。

    敗戦の端緒になった盧溝橋事件に戻ると、事件の直接の引き金は中国軍の発砲にあ
   るのか、それとも日本軍の挑発にあるのか、いまも真実は薮の中である。中国側研究者
   は「日本軍の陰謀」説を、また、日本側研究者の一部には「中国共産党の陰謀」説を唱え
   る論者も存在する。

   近衛首相の突然の戦争拡大路線への変節の理由も定かではない。また各新聞社の論調
   がなぜ「強硬論」に舵を切ったのか、なども当時の真実は見えないままに時が過ぎていく。

    真実は過去のベールに包まれていつも薮の中である。戦争の大義名分はそのほとんど
   が「自衛のため」であり「正義の戦い」なのは歴史が教えている。数えれば枚挙にいとまが
   ない。侵略の戦争という大義名分は帝国主義全盛の植民地支配のときでさえなかった。

    しかし今、盧溝橋事件が自衛戦争だと信じる人はいまい。戦争を始めるときはいつの時
   代でも謀略がついて廻り、「自衛のため」が大義名分になる。今イスラエルとイスラム過激
   派ハマスが激しい殺し合いをしているが、イスラエルのネタニヤフ首相はガザ侵攻とハマス
   への爆撃は「自衛のための戦争」と明確に言い切っている。イラク戦争はブッシュの「正義
   の戦争」だった。

    安倍政権の集団的自衛権の容認は、いつでも「自衛のための戦争」が起きる可能性を
   示唆している。首相の甘言に乗らず、賢明な国民はしっかりと歴史に学び厳しく政治を見
   つめなければならない。

    私の誕生日はかくして真実が謎のベールに覆われた記念すべき日だった。