ミミズの戯言49、職人気質。   13,10,16

   蕎麦打ち職人の間には「ズル玉」という言葉があるそうだ。
  職人が1日に打つ蕎麦の数は限りがあるので、売切れれば店じまいにするのが職人気質
  というものだが、中には少しでも売り上げを増やすために、蕎麦玉を捏ねるときに少し水を
  多めにいれる職人がいる。蕎麦玉が柔らかくなってそのぶん力が要らず楽に捏ねられる
  から、より沢山蕎麦を作る事が出来る。ゆであがった蕎麦は当然腰のない柔らかい蕎麦
  に出来上がる。

   こんなそばを打つ職人は 「ズル玉を打つ職人」 といって仲間から軽蔑される。意に反
  した蕎麦をうつのは職人気質に反する行為だからだ。ズル玉を打つ位なら仕事を辞めて
  引退だよというのが蕎麦職人の意地と誇りというものらしい。

   「水切れの蕎麦」ともいう。ざるそばの蕎麦の角が立つくらいの硬さが良い出来で、ざる
  から下に水気が滴るのは柔らかすぎる蕎麦ということだから、もしかしてこんな「ズル玉」
  を食べさせられているかもしれない。知っていて損はなかろう。

   葉山に居を構えてから、永年通い慣れた御用邸前の蕎麦屋” I S ”が店じまいをして
  半年以上になる。御主人も奥様も寄る年波には勝てず、もう客商売は無理ですと、かね
  がね話していたが、いざ閉店になるとあの腰のある手打ちそば、ごま油で揚げた香ばしい
  天ぷら、乙な一品料理、主人厳選の銘酒とソバ味噌が無性に懐かしい。最後には決まっ
  て蕎麦団子を出してくれた。帰る時には奥の調理場から顔を出して丁寧に頭を下げる誠
  実そのもののご主人と奥様の顔が今でも眼に浮かぶ。

   店構えは重厚で、柔らかい電灯の明かりで飴色に光る厚手のテーブルに座ってコップ
  酒を頼むのが私の好みだった。時にはご主人が 「珍しい酒が入りました」と勧めてくれる
  のを飲むのも楽しみだった。御主人は「鎌倉清酒研究会」の会長を務め、鎌倉のPホテル
  で年2回、全国の造り酒屋の蔵元から選りすぐりの銘酒を数百銘柄集めて鑑賞会を開催
  するほど、この道の名士でもあった。

   御主人が打つざるそばと一杯のコップ酒が私の定番だったが、この手打ちそばは私の
  お気に入りで、ざるに盛った蕎麦の角がピンと立つほど腰のある硬めの蕎麦だった。
  蕎麦を打つにはその日の湿度や気温などで水の量を微妙に調整するほど年季のいるも
  のだが、名人芸を誇る職人でも会心の作と満足できる蕎麦はめったに打てないものです、
  とご主人が話していた。

   その名人芸のご主人が店を畳んで潔く廃業し、店の全ての調度品(いいものが多かっ
  た)を欲しい人達に譲ってしまったそうだ。惜しかった。私もおこぼれに与かりたかったが
  知った時には時すでに遅かった。

   ご主人は、「歳をとってもう商売はできません。」と云っていたが、私同様にこの店を贔
  屓にしていた常連があるとき「蕎麦が少し柔らかくなって昔の蕎麦ではなくなった。」と話
  していたのを思い出した。もしかしてそば粉を捏ねる力が弱くなって、少し水気を多くしな
  いと打てなくなったのかもしれない。本来の硬さを出す捏ね方が出来ず不本意な水の量
  になっていたのかもしれない。一本気な蕎麦職人の職人気質が自分の満足する蕎麦が
  打てなくなって引退を決意したのかもしれない。と気がついた。

   素人の私が蕎麦を打ち始めて10年になるが、なかなか満足できる蕎麦は打てない。
  歳と共に捏ねる力が弱くなって、充分にグルテンが出てこないから出来上がりがボサボ
  サになってしまう。ボサボサを避けようとすると、水気を多くしてやれば楽に捏ねられる
  ので粘り気が出てくるが、出来上がった蕎麦は腰の弱い柔らかめの蕎麦になってしまう。
  つまり 「ズル玉」である。

   大工でも蕎麦打ちでも植木職でもみな職人気質がある。74歳になる私の友人の建築
  設計士が「歳を取ったら若い時のような会心の設計図が書けなくなった。ごまかしの設計
  図になってきた。」と嘆いていたが、設計士と云えども職人気質の塊みたいなもので、
  どうも「ズル玉の設計図しか書けないのなら寂しいけど引退の時期だよ。」と言いたかっ
  たらしい。

   プロ野球でもバントの名人が職人芸の衰えを自覚して引退した。蕎麦屋の主人も多分
  力の衰えを自覚し、自分の打つ蕎麦の出来栄えに満足できず「ズル玉」を打つ事に堪え
  られなくなって潔く引退を決意したのだろう。

   歳をとる事、引退を決意することは寂しいことで勇気がいることだが、時機を失しては
  ならない。蕎麦打ちの職人でもプロ野球の選手でも、はたまた企業の経営者でも引退の
  時期を誤って晩節を汚した人は無数にいる。私の義父も私に「引き際をきれいにせよ」
  と繰り返し諭してくれたので私の今がある。人生に「ズル玉」は禁じ手だと永年信じて歩
  んできた。

   市井の一蕎麦屋職人の廃業が私に色んなことを示唆してくれた。
  ご主人が残してくれた私への土産は、店が取り寄せていた三島のそば粉業者の電話番
  号と、秘伝のそば出汁の材料となる造りたての「サバ節」と「宗田カツオ節」を量り売りし
  ている隠れた老舗の店の名前だけになってしまったが、今となっては貴重な私の財産で
  ある。