ミミズの戯言48、中秋の名月。 13,09,20

   いつものように家内と箱根に行き、日帰り温泉とゴルフに興じての帰路、夕暮れ
  の西湘バイパスから見た相模湾の空にくっきりと大きな満月が浮かんでいた。
  今日9月19日は旧暦8月15日、云わずと知れた15夜・中秋の名月である。中秋の
  名月は例年雲に隠れる事が多く、めったに満月の姿を見る事はないといわれるが、
  今年は珍しく大きな満月だったので愛でた人も多かろう。

   昔暗記した徒然草の冒頭には 「つれづれなるままに、日ぐらしすずりにむかひ
  て、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐ
  るほしけれ。」とあるので、兼好法師の気持ちになって、月についてのよしなしごと
  をそこはかとなく書きつくってみよう。

   古来、日本の歌人・文人は名月の姿に感傷を覚えて多くの名句、名文を残してい
  る。芭蕉には、「名月や池をめぐりて夜もすがら」 「ひとつ家に遊女も寝たり萩と月」
  などがあるし、蕪村には、「鎖(じょう)あけて月さし入れよ浮み堂」 「名月や門へさ
  しくる汐がしら」 がある。小林一茶にはかの有名な 「名月をとってくれろと泣く子
  かな」がある。

   歌人ばかりではない。徒然草の第5段には、「配所の月、罪なくて見ん事、さも覚
  えぬべし。」と書いてある。配所とは今の刑務所の事だが、罪のない身で配所のよ
  うな閑寂な土地の月を眺めれば、さぞ情趣も深いであろうという意味で、俗世を離
  れて風流な趣を楽しむ心を謳っている。蛇足だが、「罪人が配所で眺めた月につい
  ての想い。」と誤って解釈して試験で×を貰ったことを思い出した。

   庶民の生活にも名月は欠かせない。竹取物語のかぐや姫然りだし、童謡には 
  「うさぎ うさぎ 何見て跳ねる 十五夜お月様 見て跳ねる」がある。詠み人知ら
  ずの短歌には 「月月に月見る月は多けれど 月見る月はこの月の月」がある。

   大衆食堂に行けば「月見うどん」や「月見そば」がある。多少の薀蓄を許してもら
  えれば、 茹でた蕎麦・うどんを丼に入れ、叢雲(むらくも)やススキに見立てた海苔
  を敷いてから、生卵を割り入れて、汁と薬味を添えたものを「月見うどん」、「月見
  そば」と呼ぶのが正しい。月見の風情をどんぶりの中に見立てたものである。
  本来、月見にはこの海苔は必須であり、海苔なしの場合は「玉(ぎょく)」といったが、
  現代では海苔なしでも卵さえ入っていれば月見と言うようになってしまった。

   名月にはススキが外せない。15夜にはススキと団子、里芋、栗などを供え、勿
  論お酒も供えて中秋の名月を愛でるのが古くからの習慣だったが、今はススキも
  なかなか手に入らないし、風流な習慣も薄れてしまって現代人からは疎まれたよ
  うである。

   月見の習慣は中国に由来するようで、中国や台湾では中秋節といって月餅を食
  べて盛大に祝うそうだ。酒飲み仲間たちとよく花見酒や月見酒を飲んだものだが、
  雪見酒→花見酒→月見酒の順番で飲むのが通で、雪見酒も飲まずに花見酒や
  月見酒を飲むのは邪道だ、などと煙に巻かれたことがある。所詮酒飲みのたわい
  事で、要は飲む機会を何とか沢山つくろうとの魂胆である。

   箱根CCの各コースにはススキがよく見かけられ、ゴルフ場に行く途中は仙石原
  だからススキの大群落のなかを通過する。この辺一帯は国立公園だからススキな
  どの草花を持ち去るのは罪になるので厳禁である。では何の罪になるのだろうか。
  調べてみたらどうやら「森林法違反」 「自然公園法違反」という罪になるらしい。
  森林窃盗罪という罪で5年以下の懲役または50万円以下の罰金が量刑のようだ。
   しかし大がかりで悪質な植物採取でない限り多少ならば大目に見てくれて注意で
  すむようだ。、譬えて言えば1`のスピード違反でも交通違反だが、罰則は大目に
  見られるのと同じことらしい。

   そうはいっても箱根でススキを失敬する気には毛頭ならない。失敬したススキで
  名月を眺めても風情もご利益もある筈がないし、だいいち酒もうまい筈がない。
  常識の話である。

   あれほどの猛暑もお彼岸になってようやく収まり、秋の訪れを告げ始めた。朝夕
  が涼しくなり我が家の庭でははやくも鈴虫やコオロギが啼き始めている。