ミミズの戯言47、東京五輪決定!  13,09,08

    とうとう56年ぶりに東京でオリンピックが開催される。早朝の5時前からテレビに見入って
   開催地が決定する瞬間を固唾をのんで見守った。この決定に日本中が沸き、多くの日本人
   が朗報を喜んだ。しばらくは新聞・テレビは五輪開催の報道で賑わうことだろう。

   五輪招致に反対している一部の人達は、その資金と労力を東日本の震災復興や被災者支
   援、社会保障などの弱者救済や脆弱な財政基盤の強化に充てるべきだとしている。尤もな
   意見ではあるがこの際は国を挙げての招致活動の成功を素直に喜びたい。

    49年前の1964年(昭和39年)10月10日のあの澄み切った青空の国立競技場での感動的
   な開会式が忘れられない。競技場に響き渡る自衛隊音楽隊のファンファーレと古関裕而作
   曲のオリンピックマーチ、深紅のブレザーを着た日本選手団の大デレゲーション入場行進、
   小野喬主将の掲げた日の丸、国際色豊かな衣装で入場する各国選手団、坂井選手の聖
   火台への点火、超満員の観衆と陛下の開会宣言、鈴木文弥アナウンサーの格調高い実
   況放送、一斉に飛び立った何千という白い鳩、ブルーインパルスが紺碧の空に描いた5つ
   の五輪の輪。これらのすべてが世界中の人達に敗戦国日本の復興を強くアッピールした
   象徴的な開会式だった。

    当時は高度成長期の真っただ中。新幹線やモノレール、高速道路などの交通網や宿泊
   施設などのインフラ整備、3Cと呼ばれたカラーテレビや電気製品の普及など庶民の文化
   生活は飛躍的に向上していた。オリンピックは日本が急速に世界の経済大国にのし上が
   った証を世界に示す絶好のイベントだった。日本人は自信と元気を取り戻し、戦後の神武
   景気の31か月や岩戸景気の42か月に次ぐオリンピック景気をもたらし、翌年の65年から
   始まる57か月間に及ぶ伝説的ないざなぎ景気のきっかけにもなった。

    私事で恐縮だが自動車産業に身を置く私にとっては、造っても造ってもまだ造り足らない
   未曽有のマイカーブームの到来を実感したいざなぎ景気だった。当時私は会社員3年生、
   仕事が忙しかったためか切符が取れなかったためか生のオリンピック競技を遂に見るこ
   とはなかったが、社員寮で友人達と夢中になってテレビ観戦をして手に汗握って日本選手
   を応援する27歳の青年だった。

    発展途上国から世界の大国に進化しつつある姿を世界に示したのが1964年の東京五
   輪、今回の2020年の東京五輪は、経済・文化の成熟国としての日本の新しいオリンピック
   への取り組みを世界に示す五輪と云える。道路やビルや新幹線、建物の建設などの投資
   ブームの再来を夢見るのではなく、アスリートたちが安心、安全に競技できる環境を提供
   し、訪れる世界中の人々に日本人の心の豊かさを伝え、世界のスポーツ愛好者に心から
   日本に来てよかったと感じてもらえるオリンピックでありたい。道端で出逢った外国人観光
   客一人一人にも、細やかな「おもてなしの心」で接するよう一般市民として心掛けたい。

    五輪招致決定で、インフラ整備や観光客の増加などで経済効果は3兆円が見込まれる
   そうだ。建設、不動産、観光株を始め関連株価の上昇も見込めるだろう。しかし何よりも
   得難い喜びは五輪決定を受けて日本人が前途に明るい希望を持てる事だろう。未来が
   見えない不安にさいなまれている日本人の 「心のデフレ」 を払拭できることが何よりの
   プラスだ。

    先の見えない閉塞感があふれ悲観論が目立つ日本に元気と明るさを取り戻す絶好の
   起爆剤になった。東日本大震災の被災地に勇気と希望を与える朗報だった。これからの
   7年、国民の総力を挙げての準備と、汚染水などの懸念材料の払拭に努力してもらいた
   い。チームワークで勝ち取った五輪招致だから、これからは政府・地方自治体・民間団体
   ・そして1人1人の個人レベルのチームワークでホスピタリティーを発揮しスポーツの素晴
   らしさと夢と感動を与える五輪目指して準備しよう。


    月日は移り変わり64東京五輪から49年の年月がたった。再びあの感動と興奮を東京で
   見ることが出来る。 7年後の2020年には私は83歳になる。果たして五体健全でテレビの
   映像を見ることが出来るかどうか絶対の自信はないが、あの感動をもう一度この目で見
   たいという願望が沸々と湧いてくる。若い人達にもあの第1級のスポーツの感動を生で味
   わってほしい。
   しばらくの間生きる目標が出来て嬉しい。我が同年輩の同志たちよ!あと7年は生きてあ
   の興奮を一緒に味わいましょうよ。

    あれは2000年夏、日本女子ヨットチームを率いて参加したシドニー五輪の初日、坂の多
   いシドニーの沿道で待ち構える私の目の前を、高橋Qちゃんとルーマニアのシモン選手が
   デッドヒートを演じて、疾風のように駆け抜けて行った女子マラソンのあの一瞬が私が生で
   見た初めての五輪経験だった。2020五輪ではどんな感動が味わえるのだろうか。オリンピ
   ックは正しくスポーツの夢の祭典である。