ミミズの戯言44、喜寿。 13,07,07 人間歳を取るとなにかとお祝い事が続いてくる。61歳の還暦を皮切りに、70歳の古希、 77歳の喜寿、80歳の傘寿、88歳の米寿、90歳の卒寿、99歳の白寿、最後に100歳の百 賀または紀寿と続く。伝統的な日本のしきたりとして古く奈良、平安の昔から代々伝えら れてきたお祝い事である。 近年、長寿はおめでたい意義が薄れ、伝統的なお祝い事もめっきり少なくなってきた ようだ。長寿は一面核家族に大きな負担をかけるので年寄りには肩身が狭いし、高齢 化の進展で年金や保険、医療費といった老人関連費が増加して、若者に迷惑がかか っているから老人には住みにくい世の中になってきている。 長生きすることは家族には喜ばしいことには違いないが長生きしすぎのはほどほどが 望ましい。せいぜい80歳の傘寿前後が限界で、米寿・卒寿は少し長生きし過ぎに思える。 ところで私は今年が数えの77歳、いわゆる喜寿を迎えた。還暦には赤いちゃんちゃん こや赤い帽子が贈り物とされていたが、喜寿には紫色が古来用いられる。しかし現代で はこのような贈り物を喜ぶ老人はまず一人もおるまいし、送ろうとする若者も皆無といっ ていいだろう。現代の老人はもっと現実的・合理的になっていて家族との会食や小旅行 のほうを好む傾向にある。 7月7日、いわゆる七夕は古来喜寿を迎える老人を祝う祝日だったことを知る人はあま りいまい。平安の昔から7月7日は77歳の数と重ねて、7・7・7・7だから縁起がいいとさ れたようだ。この日には家族からお祝いをもらって長寿を祝われ、当事者はお返しの祝 宴を用意してもてなしたようである。ほほえましい敬老の慣習だった。 嬉しいことに我が家では長女がお祝いに鎌倉の老舗天ぷら屋”ひろみ”の食事券をプ レゼントしてくれた。どうも父の日と7月10日の誕生祝も兼ねているらしい。喜寿祝はひと 言も口に出なかったから論外だったに違いない。同じ食事券を家内も母の日にもらって いるので、長女と3人で”ひろみ”の昼食を食べに行ってきた。 この店の天ぷらを食べるのは実に数十年ぶりである。カウンターの中で天ぷらを揚げ る主人が名物おやじで客にも遠慮なく注意する職人だった。エビの尻尾を食べ残すと ”食べられないエビは揚げていない!”と鋭い声が飛んできたし、同じものを続けて注文 すると”そんな食べ方はよその店でしてくれ!”と取り合わなかった。東京あたりからも この店の天ぷらを食べにくる常連客もいたようだ。 久し振りに店に入ったら既に名物おやじは30年も前に鬼籍に入り、今は2代目と3代目 が跡を継いでいた。店内も昔のアットホームな姿はなく、おしゃれな現代風の店に一変 していた。強烈な印象が残っているせいか、食べた天ぷらは美味しかったが特に絶賛・ 特筆するほどではなかった。2代目の奥さんと懐かしい昔話をして喜ばれた。 この店で修行した職人が今葉山で”H”という天ぷら屋を開いている。一風変わった客 扱いは修行した亡き先代そっくり似で、かって友人がウィスキーを注文したら、”天ぷら 屋に洋酒など置いていない!!と一喝され、あわてて友人は日本酒に変えた逸話もあ る。葉山の裏庭で摘みたての山菜を天ぷらにしてくれる実力派の天ぷら屋である。 私が今贔屓にしている天ぷら屋は銀座の”天一”で修行したコーちゃんが開いている 葉山の”T”という店。 今日の主題は喜寿だから脱線はこの辺にして、この店の話は後日機会があったらご 披露しよう。父の日と誕生祝と喜寿祝の3つを兼ねた家族3人の団欒のひと時だった。 |