ミミズの戯言43、「読む、書く。」13,05,20

   以前、どこかで読んだ記憶がある。朝日新聞の天声人語だったろうか。
  アメリカの老富豪がある時 「全財産をはたいても叶えたい望みはあるか。」と聞かれて 
  「大好きな<ハックルベリー・フィンの冒険>をまだ読んでいない状態に戻してほしい。」 
  と答えたそうだ。富豪は少年時代に夢中で読んだのだろう。愛書中の愛書なのだが、読
  み返しても初めて読んだ時の感動がよみがえらない。だから、もう一度・・・。老富豪
  のようなこんなときめきの1冊のある人は幸せだと思う。

   私も人並みに若い時から随分本を読み漁ってきたが、いまだにこれはと思う一冊を挙
  げる勇気がない。だからやたらに読み漁るしかない。本屋に行けば洪水のように新刊書
  が立ち並んでいるが、私はもっぱら文庫本になってから買い求めることにしている。
  だから最新の小説などの話題にはなかなかついていけないもどかしさがあるが、時間が
  経てばいずれ追いつくと割り切っている。

   この1冊を挙げるのは難しいが、好きなのは池波正太郎の鬼平犯科帳、剣客商売。
  理由は特にない。ただ面白いだけ。何度も読んだし、隅田川界隈を歩いて食べ物屋も漁
  った。鰻もアサリもしゃも鍋も食した。しかし読み返すと新しい発見もあるが、次第に
  最初の新鮮さは失われていて老富豪と同じ心境になる。

   ある調査によれば4人に1人は 「月0冊」 の読書歴だそうだから活字離れがかなり
  進んでいる。テレビや携帯もいいが少しは本を読んだほうがいい。1億総薄っぺらは困る。

   中国に「三余(さんよ)」という言葉があるそうだ。読書に適した三つの余暇で、冬と
  夜、雨の日をさすという。晴耕雨読というが、私はもっぱら夜、それも床に就いたおよそ
  30分から1時間が読書に浸る至福の時間で、もうこの習慣は50年程になる。枕元に本を
  積んでおかないと落ち着いて眠れない癖がついている。

   ここ数年集中的に読んだ池波正太郎や藤沢周平、山本周五郎などの髷物をほとんど
  読み終えたので、1昨年あたりから幕末の戊辰戦争と関連人物、日露戦争と関連人物、
  戦後政治を動かした宰相達(吉田茂・田中角栄・大平正芳など)の業績・人物評、北方
  領土・竹島・尖閣の国境紛争関連書などに集中していて、読みたい小説は書架に眠って
  いてご無沙汰している。最近読み終えたのが元朝日新聞政治部記者の早野透著「田中
  角栄」。先日雪深い新潟3区周辺を車で走ったので、この辺境の地・豪雪の柏崎から生
  まれた傑物政治家田中角栄を、長年追いかけた早野記者の文章が特に印象に残った。

   ところで近年テレビの普及で本を読む人が少なくなり、同時にパソコンの普及で字を
  書く機会が激減しているようだ。字を読むことはできても書くことが出来ない人が増え
  た。私も同病相憐れむ一人である。

   私の知人で中央公論社の編集部次長だったS氏はオーディオ評論家、ワイン研究家、
  料理研究家の肩書を持つ多彩な趣味人だが、世界の名品と云われる希少価値のある
  万年筆のコレクターとしても有名である。S氏は「華麗なる万年筆物語」というおそら
  く世界でも類を見ない大変ユニークな画集を出版している。オマスの「ボローニャ」 
  アウロラの「ユビレウム」 モンブランの「セミラミス」など幻の万年筆50数本を
  美しい写真入りで解説し、さらに古今東西の世界の著名人の直筆の手紙を載せて
  直筆の素晴らしさを紹介しているのが秀逸で見飽きない。(写真参照)





   私もパーカー、モンブラン、シェーファー、パイロット、セーラーの万年筆を10本
  程持っていて、興に任せて万年筆を選び太字・中字・細字を使い分けているのだが、
  最近ではペンを持つ機会がめったになくなりペンだこも無くなったし、書いた文字の
  美醜にも無頓着になってしまった。以前は直ぐに書けた漢字もなかなか思い出せな
  くなってしまった。

   氏はパソコンの普及によって「書く」という作業を人間が手放したことを嘆いて、
  次の様に語っている。「ペンと云う単純で手になじむ道具で紙に書き印していた人間
  が、わざわざ機械からパターン化された文字と云う記号を引き出して印刷しなけれ
  ば文章が出来なくなった。この文字には人それぞれの個性や味などひとかけらも
  残していない。」
  「書く者の個性を示しつつ、じかに紙面に文字となって現れる手書き文字は、生命を
  宿している。他の誰のものでもないあなたの想いが、あなたの手の働きによってあな
  たの字になり、読む人の心に届く。手は文字通り、頭脳の使者である。」 「愛着の
  ある使い慣れた万年筆を持つと、自然にすらすらと勝手にペンが動いてくれて個性
  あふれる文字が現れてくれる。」 

   万年筆の書き味や出来上がった手紙の出来栄えに満足していた昔を思い出したので、
  面倒くさがらずに時折は愛用の万年筆で文章を書く習慣を復活させようか。最近はパ
  ソコンで手紙を打ち、サインだけ直筆というものぐさになっている事を猛省する。

   中国には「三上(さんじょう)」という言葉もあって、文を練るのにいい場所と
  して馬上、枕上(ちんじょう)それに厠上(しじょう)の3つの場所をいうそうだ。
  馬上は今なら電車の席になろうか、枕上は私の好きな寝床で、厠上はトイレの中。
  人それぞれ得手の場所を使って、たまには手紙の文章を練ったり好きな本を読ん
  だりして、時にはお気に入りの万年筆の出番を用意するのも悪くはない。

  そしていつか老富豪のようなときめきの「1冊」に巡り合いたいものだ。

   <参考> 万年筆の写真上段・・イタリア・スティピラ社 「ノヴェセント」 
             下段・・ドイツ・モンブラン社   「セミラミス」