ミミズの戯言38、囲碁よもやま話。 12,09,14 近々映画になるらしいが、2010年に本屋大賞を受賞して一躍脚光を浴び、その著 書が洛陽の紙価を高からしめた沖方丁(うぶかたとう)の時代小説「天地明察」は、 江戸時代初期の囲碁棋士安井算哲が、数学者・天文学者としての別名渋川春海と して我が国初めての改暦に挑んだ物語である。彼のミッションは「日本独自の暦」を 造ることだった。 安井算哲は囲碁の名門安井家の嫡男として安井家を背負って立つ逸材で、「初手 天元」の着手の創始者としても知られている。お城碁にもしばしば登場して私も鑑賞 したことがある。「天は二物を与えず」とか「二兎を追うもの一兎も得ず」などというが、 彼は囲碁と天文という二つの分野で稀有な才能に恵まれた人物だった。 家元本因坊家の始祖、初代本因坊算砂とほぼ同時代の碁打ちだから、二人の対 局があったと思うが詳しいことは知らない。算砂は信長・秀吉・家康と戦国時代の三 君に仕え、初代本因坊として抜群の打ち手であった。 市ヶ谷の日本棋院東京本院に囲碁殿堂資料館があって、囲碁の発展に功績のあ った12人が表彰されている。その第一回の表彰者の中に本因坊算砂がいる。算砂 は三君に仕えただけあって相当世渡り上手だったらしいが、囲碁の地位と権威を確 立した最大の功労者だったので表彰されたのだろう。算砂の辞世の句が残されてい る。「碁なりせば効など打ちて活くべきに 死ぬるばかりは手もなかりけり。」 私も同じような場面に遭遇したら、多分この辞世の句を思い浮かべることだろう。 囲碁には昔から沢山の別名がある。それぞれ納得のいく別名だと感心してしまう。 「黒白、烏鷺(うろ)、方円、手段、手談、座隠、忘憂、欄柯(らんか)、腐斧(ふふ)、 橘中(きっちゅう)、清遊、聖技、小宇宙、」等々である。 若干解説すると、烏鷺(うろ)は白い鷺と黒い鴉の事、欄柯(らんか)と腐斧(ふふ) は同じ意味で、斧の柄(柯)が腐(欄)っても気が付かないほど夢中になることである。 橘中(きっちゅう)は「橘中の仙」とも言って、中国の故事(幽怪録)に出てくる。 「昔ある人が橘の実を割ると中で二人の仙人が碁を打っていた。」ことから碁を楽し んでいる老人の事を云う。さしずめ逗子に住む私の囲碁の師匠の90翁と私の対局 のようだが、師匠との碁はむしろ「清談」という言葉がふさわしい。このところご無沙 汰なので、「笠碁」ではないが好敵手との対局が待ち遠しい。 会社時代の上司に博学の先輩がいて数年前に、「欄柯の趣味の世界を極めるべ く精進云々・・」という慇懃な手紙と一緒に、「柳家小さん・笠碁」「古今亭志ん朝・碁 どろ」という二つのMDを送って頂いた。「欄柯」と云われるほどには熱中していなか ったのでドキッとしたが、頂いたふたつのMDの落語を聞いていて、笠碁に出てくる ヘボ碁の2人にピタリと当てはまる言葉が「欄柯」だと気が付いてホッと胸を撫でお ろした記憶がある。 そういえば暫らく市ヶ谷の日本棋院には行っていない。昔作った詰碁の傑作でも 持って行って、詰碁自慢のプロ棋士を困らせてやろうかとやんちゃな気持ちになる 昨今である。 |