ミミズの戯言32、 ー今日は何の日ー   12,04,27

    2週間ほど前の朝の出来事。ラジオで「今日は何の日」というNHK番組を聞いていたら、
   アナウンサーが面白いことを話していた。「昭和24年4月12日の今日は、巨人軍川上選手
   が南海戦で逆転満塁ホームランを打った日です。」と。
    そうか、あれは昭和24年だったのか。1昨年の「ミミズの戯言14、囲碁遍歴その2」で書
   いておいたあの鮮烈な川上の逆転満塁ホームランは私が小学校4年生の時だったのか。
   しばし陶然として12歳の時の劇的瞬間の追憶に浸った。1昨年の「囲碁遍歴その2」の文
   章の1節をもういちど振り返ってみる。

 
     ミミズの戯言14、囲碁遍歴その2

   戦後、プロ野球が爆発的な人気となり、川上の赤バット、大下の青バット、南村の黒バット、
   藤村の物干し竿などの異名がファンの人気をさらった。昭和25年ごろだったろうか、巨人
   vs南海戦で川崎投手から放った川上選手の9回裏1死満塁カウント1−3からの逆転満塁
   ホームランを、我が家のボロラジオ(ダイヤルを右に回すと針が左に回るタイプで、いつも
   ガーガーピーピーとしか聞こえなかった。)にかじりついてアナウンサーの声に耳をそばた
   て、スコアブックに経過を書き入れていた私は、思わず飛び上がって喜んだものだ。
    このスコアブックは私の大切な記念の宝物だった。当時、私はプロ野球、特に巨人戦の
   スコアブックを克明に記録し、新聞の野球欄を丹念に読む巨人ファンの少年だった。当時
   何冊あったろうか。記念のスコアブックがとうに紛失してしまったのが全く悔やまれる。

    あれから63年の月日が流れた。川上さんは私の所属する箱根カントリークラブのメンバー
   で10年ほど前に食堂でたまたまご一緒したとき、あの逆転満塁ホームランのことをお話した
   ら、大変喜んでくれて、私が記憶にとどめていたことに感謝してくださった。また川上さんは
   ゴルフも左利きでプレーされるが、私も同じなので左利きの功罪の話題がことのほかウマ
   が合う。川上さんが会長をしていた左利きだけのゴルフコンペが葉山カントリーで行われた
   のが昭和50年ごろだったろうか。出場エントリーしていたが、急用ができたのと、左利きだ
   けのコンペなど気持ちが悪い思いがして、結局欠席したことなどが懐かしく思い出された。

    今に至って気が付けば昭和24年3月は私の家内の誕生月なので、あの逆転ホームラン
   はその翌月の出来事だったことになる。忘れもしないあの興奮と感動は家内誕生の翌月
   のことだった。朝のラジオを聴きながら、憧れの川上さんの追憶はしばし次々と尽きること
   なく続いた。