ミミズの戯言30、外務省機密漏えい事件。 12,02,13

    病後でしばらく休載していたので、ほぼ1か月ぶりのHP掲載です。掲載再開の最初は、
   最近の新聞、テレビ、話題の小説に登場した「外務省機密漏えい事件」にまつわること。

    毎週日曜日の夜9時から山崎豊子氏の「運命の人」がTBSテレビで放映されている。
   1972年の沖縄返還時、軍用地復元補償費400万ドルを日本が肩代わりする日米密約
   の存在を毎日新聞政治部記者・西山太吉氏がすっぱ抜いた事件をドキュメント風に描
   いた小説のテレビドラマである。

    記者は起訴され、「国民の知る権利」か「国家機密」かを争う新聞記者と国家間の論戦
   の末、一審は無罪、2審と最高裁の判決は有罪となり結審した。数十年を経てアメリカの
   公文書公開で外交機密文書の存在が明らかになったことから、再び名誉棄損と国家賠
   償を巡って今も訴訟が続いている。

    小説を読んだ読者はご存じのように、実名に近い名前で報道記者とその家族、外務
   省事務官、総理や閣僚、政治家、官僚、検事、弁護士たちが次々と登場してくるので、
   これは実話だと容易に判る。被告の毎朝新聞社弓成亮太記者(実名;西山太吉記者)
   は有罪判決を受け新聞社を退職して傷心の身で沖縄にわたり、沖縄の生活を通じて
   戦中戦後の島民の苦しみと痛みを知り新たな決意を持つことで小説は終わる。

    最近、新聞紙上の小さな囲み記事に読売グループのドン「ナベツネ」こと渡辺恒雄
   会長(当時の読売新聞社の政治部記者。小説では読日新聞社山部記者として登場。)
   がテレビ放映のシーンに抗議する談話がのっていた。「俺は田中角栄に現ナマなど
   貰っていないし、西山と一緒に大平(大平正芳)と料亭で飯を食ったりなどしていない。
   俺は大野番(大野伴睦)で大平とはそんな仲ではなかった。」と。

    これに対して元毎日新聞政治記者・西山氏が「自分を非難するのはお門違い。作者
   の山崎豊子氏に抗議してもらいたい」と反論していた。小説を読んでいないと事の背景
   が判らずチンプンカンプンだろうが、読んでいる人はハハーンと理解できる。新聞記者
   と政治家の持ちつ持たれつの関係が推測されて興味深い。

    この事件は「知る権利」と「国家機密」の争いの筈だった。本来アメリカが負担すべ
   き軍用地復元補償費の400万ドルを日本が肩代わりする秘密外交文書の存在を否
   定し続けた政府だったが、その電文コピーを参院予算員会で横路社会党議員が暴
   露したことから、「国民の知る権利」と「国家機密」とは何かが争点のはずだった。

   しかしこの秘密文書の電文コピーは西山記者が外務省蓮見女性事務官と「情を通
   じて」入手し、横路議員に渡したことが判明したため、争点は一転して国家の犯罪
   からスキャンダラスな色恋事件にすり替わった。

   西山記者は国家公務員法111条”そそのかし罪”で逮捕され、「手段」が「目的」より
   も重視されて、1審は無罪となったが1978年最高裁において被告には不本意な有罪
   判決で結審した。秘密外交文書の存在と国家機密については不問に付せられた。

    ひるがえって、沖縄返還をめぐる黒い密約は他にもある。「核抜き・本土並み返還」
   の美名の裏で交わした密約、「有事の際の核持ち込み」と「日米繊維輸出規制問題
   の日本の大幅譲歩」がそれであった。(昨年2月の拙文「ミミズの戯言23」をご記憶
   の方もおられよう。) 日本はこうした密約を交わさざるを得ない弱い立場だったから、
   譲歩なしには沖縄返還は成立しなかったのであろう。国民に知らせてはならない密
   約はこうして生まれ長く秘匿されることになる。

    徳川家康は「寄らしむべし、知らしむべからず。」と政治の要諦を述べているが、
   現代の外交においてもこの言葉はゆるぎない真実のようだ。高度の外交交渉とは、
   「無知な国民に、外交成果の何を隠して何を明らかにするか。」が要諦のようだ。
   かくして密約など知るすべもない国民の万雷の喝采をうけ、敗戦27年を経て沖縄
   返還が実現した。沖縄返還協定が締結されて公文書となり、肩代わり密約は無期
   限の国家機密として秘匿された。悲願を達した佐藤首相は後年ノーベル平和賞を
   受賞する。「アメリカの沖縄」からようやく「日本の沖縄」が誕生した。
   

    密約の存在を国民が知ることは容易ではない。唯一、こうした密約を天下に明ら
   かにして事の是非を世に問う役割を担えるのは新聞記者をおいて他にはいない。
   「万機公論に決すべし」を掲げる旗手は新聞記者をおいていない。沖縄返還をめ
   ぐる二つの密約事件は、過去から現在に至る諸外交における沢山の密約の存在
   を窺わせる。

    公文書の裏に密約が存在することがすべて国家の犯罪とは断定しがたい。むし
   ろ密約の存在は外交の世界の常識かも知れない。解決の糸口の見えない普天間
   基地問題の二律背反の難問解決の為に、今後日米両政府間で妙案が生まれ、
   それにまつわる密約が再び誕生することも十分に予想される。

    西山事件以降、マスコミは「国民の知る権利」と「国家機密」の境界線に踏み込
   む事に消極的と伝えられている。さらに踏み込んだ取材と一段の奮起が現代の
   新聞各社の記者各位に期待される。