ミミズの戯言28、蛻変(ぜいへん) ![]() 今年の夏は妙に蝉の鳴き声が聞こえないと思っていたら、8月になってようやく例年の懐かしい声 が聞こえ始めた。蝉は地下で7年過ごし、地上で1週間のはかない命を終えると子供の頃聞かされた。 事実はどうも地上で1ヶ月以上生き永らえるらしい。雌を呼ぶ求愛の鳴き声が1週間ではあまりにも 短かくて切な過ぎる。そう思って聞いていると夏の風物詩も心なしか悲しげな鳴き声にも聞こえる。 蛻変(ぜいへん)という耳慣れないこの言葉に出会ったのは昭和42年、親会社T社の社内論文集 だった。後に取締役に昇進される当時の気鋭の若手論客S・S氏が投稿した論文を眼にしたときで ある。その論文の書き出しはこうだ。 ”蝉や蛇が皮を脱ぐ時、非常な苦しみを味わうという。これを蛻変(ぜいへん)という。” であった。 勿論、企業体質の改革を論じるためのプロローグとして引用した訳だが、かっこいい書き出しと 優れた論文の内容に魅了された印象が未だに消えない。45年も前の事だが、その後折にふれて 時々この”蛻変(ぜいへん)”を拝借したものだ。10年以上前にどこかの大学の先生が「蛻変の経 営」という言葉を使ったのに出会った記憶があって、懐かしくS・S氏を思い出したものである。 政治の世界でも、経営の世界でも、身近な家庭や自分自身の世界でも、”蛻変”という言葉がぴっ たりする場面が最近多い。原発や津波被害からの復興政策やエネルギー政策でも多分に”蛻変” の考え方が必要と思われる。誰でも痛みや苦しみは避けたいから、脱皮して生まれ変わるのは容 易ではない。”蛻変”は言うに易く行うに難しである。気をつけるべきは他人に”蛻変”を説いて自ら はその埒外にいる無責任な言動で、しばしばお目にかかる政治家や官僚や評論家の口先説法の 類などは特に腹立たしい”にせ蛻変”の風景である。 そういえば昔、N自動車がZ工場を閉鎖する時当時のT会長が、「改革とは痛みを伴うものである。 痛みを伴わない改革などない。それは単なる変更に過ぎない。」と話した言葉を思い出す。むやみ に「改革」という言葉を使うべきではないと心に留めた若い時のことを思い出す。これも「蛻変」と同 意語と解釈すべきだろう。 私の出身企業がとうとう数社と合併し企業名も多分変わることになった。時流であり,将来の発展 を目指すgoing concernである以上喜ぶべきことだが、65年も親しんだ企業名が消えることには やはり一抹の寂しさが残る。現役役員との懇談会で、「今まで作り上げてきた野武士のような良き 伝統を生かして世界に通用する新しい伝統を作り、未来に進んで欲しい。」と月並みな激励の言葉 を送った。本音は、親に誘導された「蛻変」ではなく、自らの発案による「蛻変」を成し遂げる気骨の ある決断であって欲しかったのだが、発言を差し控えた。 この一連の動きは私が現役在任中にT社の某氏と密かに仕掛け始め、ある理由で中断したいわ くつきの案件だったことを知る人は少ない。それが形を変えて更に大きな方向で大同結集すること になった。長生きはするもの。成し遂げられなかった「蛻変の発想」が10年後にようやく日の目を見 ることになった。 |