ミミズの戯言12、−秋刀魚の高騰ー 10,08,30

   秋の味覚、さんまが不漁という。代わってイワシが豊漁のようだ。スーパーを覗いたら、
  果たして秋刀魚1匹に400円もの高値がついていた。140円の値段の安売りの秋刀魚が
  よく売れていたが、おそらくは冷凍物で、今年の獲れたてではあるまい。海水の温度が
  上がっていて、秋刀魚漁は今まで以上に遠洋に行かねばならず、漁獲高は例年の半分
  以下だと報じられている。これでは秋刀魚好きの佐藤春夫も嘆くことであろう。

   ”あはれ秋風よ、情(こころ)あらば伝へてよ、男ありて今日の夕餉に ひとりさんまを食
  らひて思ひにふける と。”  秋刀魚の季節になると必ず思い出される有名な佐藤春夫
  の詩です。この詩の後段をご存知でしょうか。この詩は親友の谷崎潤一郎の心が次第
  に千代夫人から離れていくのを見て夫人に同情し、これが次第に恋に変わっていく佐藤
  春夫の心情を歌った恋歌でもあるのです。

   ”あはれ、人に捨てられんとする人妻と、妻にそむかれたる男と食卓にむかへば、愛う
  すき父を持ちし女の児は、小さき箸をあやつり悩みつつ、父ならぬ男にさんまの腸(はら)
  をくれむと言ふにあらずや。”
   人に捨てられんとする人妻とは谷崎の妻千代夫人であり、妻にそむかれたる男とは妻
  と離婚した佐藤春夫自身であり、愛うすき父を持ちし女の児とは谷崎夫妻の子供のこと
  です。この幸薄き3人が食卓を囲んで秋刀魚を食べ、女の児に腸(わた)をせがまれる
  情景は、なんとも尋常ではない光景だが妙にあわれで切ない。

   佐藤春夫は、谷崎の妻・千代と恋におちます。谷崎に疎まれ虐げられていた千代への
  同情が愛へ熟していったのです。一度は、千代を譲ると佐藤に告げた谷崎でしたが、土
  壇場で言を翻します。これを機に、谷崎と佐藤は絶交します。一度は実るかと思えたこの
  恋が、谷崎の心変わりで千代は結局谷崎の元に戻ってゆくのですが、その時の佐藤の
  失意の心が次のフレーズに吐露されます。

   ”あはれ秋風よ、情あらば伝へてよ、夫を失はざりし妻と、父を失はざりし幼児とに伝へ
  てよ。男ありて、今日の夕餉に ひとりさんまを食ひて涙をながす と。”
   ”さんま、さんま、さんま苦いか塩しよつぱいか。そが上に熱き涙をしたたらせて、さんま
  を食ふはいづこの里のならひぞや。あはれげにそは問はまほしくをかし。”

   やがて二人は和解、結局、千代は谷崎と別れ佐藤の妻となるのですが、秋刀魚の歌は
  人妻を恋うる歌であり成就しない恋の嘆きの歌でもあるのです。

   しかし多くの人は、秋の訪れを告げる旬の魚、秋刀魚を恋うる歌として記憶しているで
  しょう。それでいいのです。どろどろした陰鬱な男女の恋情の歌として記憶するより、庶民
  の魚”秋刀魚”を恋うる歌のほうがよほど親しめるというものでしょう。かくいう私も秋刀魚
  好きの皆さんと同じで、秋刀魚を見ると涎が出る”秋刀魚を恋うる歌”派なのです。

   ところで、最近若い人は秋刀魚の頭と腸を切り捨ててガスコンロやフライパンで焼く人が
  増えているようです。秋刀魚の歌にも歌われているではありませんか。”さんまの腸(はら)
  をくれむと言ふにあらずや”、です。
   そして、七輪で、備長炭で、もうもうと煙を出して、油がじゅうじゅうと滴り落ちるまで焼き、
  少し焦げた熱い秋刀魚に、大根おろしを乗せ、”そが上に青き蜜柑の酸(す)をしたたらせ
  て”、食べるのが秋刀魚の食べ方でしょう。今ならさぞかしスダチでしょうか。

   秋刀魚の腸の苦味を味わいながら、高値に苦虫を噛み潰しながら、佐藤春夫を口ずさ
  みながら、冷えたビールでも飲みましょう。いよいよ待ちに待った庶民の味覚、秋刀魚の
  登場です。