ミミズの戯言129, 終末時計。 24,08,23
パリオリンピックが終わり、夏の甲子園高校野球も首都(東京)と古都(京都)の決勝
戦は京都に軍配が上がり、ようやく夏の一大スポーツイベントも終焉を迎えて静寂を取
り戻してきた。
ヒグラシの鳴き声が夏の終わりを告げ始めたが、まだまだ熱中症の危険は去らない。
エアコン三昧でTVとPCに明け暮れする毎日なので、外出など露ほども思いつかない。
わがHPも 2か月もご無沙汰なので、思いつくままに2~3話題を提供しよう。
1,天敵「ホヤ」
食べ物の中で私の天敵は「ホヤ」である。幼少の時からホヤを見ただけ、匂いを感じ
ただけで吐き気をもようした。私と天敵のホヤにまつわる逸話は沢山ある。
7月25日の朝日新聞の天声人語はこともあろうに「ホヤを食べる」だった。その内容
はこんな記事だった。
人間20歳をすぎたら、自分の脳は自分で育てろ――。知の巨人、立花隆はよくそう
語っていた。成人たる者、知的な刺激を脳に与え、常に鍛えるべしとの言葉に、うなず
く人もいるだろう。
ではその脳を大人になると自ら食べてしまう生物もいると聞けばどうか、ホヤである。
あの橙(だいだい)色のグニャッとした海の生き物である。オタマジャクシ形の幼生は
脳を使い、すみ家を探して水中を泳ぐ。ここという場所を見つけると、でんと動かずを
決め、おもむろに自分の脳を食べはじめるという。
脳は多くの栄養を必要とする。動かないなら、考えなくていい。考えないから脳はなく
ていい。それで脳を食べる。それがホヤの生き残り戦略だという。「動けないのではな
く、動かないことを選んだ生き物なのだ。
脳を発達させる戦略で”繁栄”してきた人類から見れば、逆転の発想である。
それでいてホヤは無脊椎動物の中でもっともヒトに近い生物だそうだ。
天声人語の筆者は、生き物とは何なのかをぼんやり考えつつ、スーパーでホヤを買
って酢の物にして食べたそうな。
私は幼少のころに母親からホヤの酢の物を食卓に出され、そのまずさに吐き出して
以来、ホヤが天敵になった。今でもあの橙色のホヤを見ると吐き気がする。ホヤがな
くても酢の物は今でも食べられない。
立花隆の「成人たるもの、知的な刺激を脳に与え、常に鍛えるべし」とのお告げに
は到底叶えられそうになく、物ぐさ坊主の私はホヤの生き様に共感しつつも、やはり
ホヤは食の天敵である。皆さんはホヤが好きですか?
2,「私の履歴書」
私の本棚に10年程前に購入したエンディングノートが手つかずのまま眠っている。
わずかだが蓄えている私名義の財産目録や遺言、自分史などを書くつもりだったが、
どうにも筆が進まない。
白紙のままなので気が気でないが筆が進まないのはどうしようもない。その理由の
一つが自分の過去史が書けないことにある。「ミミズの戯言」の「囲碁遍歴」に自分
史の一端を書いてあるが、それは私の過去史の氷山の一角に過ぎない。
以前から気が付いたことだが、永年愛読してきた日経新聞の「私の履歴書」に違和
感を感じていたことが原因のようだ。
「私の履歴書」はつまるところ成功者の自慢話である、概して謙虚にへりくだった
書き方をしているが結局は自慢話になるのがほとんどである。
人生は選択の積み重ねとよく言われる。成功か失敗か、塀のうちか外かは紙一重、
右か左かの選択が運不運の分かれ道。選択が幸いうまく行ったという自分の成功話
だからこそ日経の「私の履歴書」に登場できるのだろう。
私は人生の成功者だとは露ほども思っていないので、成功者の自慢話になるような
エンディングノートは書けない。自慢史はいやだが、かといって自虐史もいやだ。
考えれば私の人生は浮草の連続、今更自慢して何になろう。苦い思い出に満ちた
過去はあの世にそっと持ち運ぶのが良い。
世阿弥のいう「秘すれば花、秘せずば花なるべからず。」である。甘んじて寡黙を
決めこむ阿吽の呼吸、である。
私の願いは、せめて棺桶にはゴルフボール1個、白黒の碁石を1個ずつ、釣り糸、
池波正太郎の本一冊、家族写真1枚、を入れてくれれば満足だ。
色川大吉は「自分史は自慢史や自分中心史であってはならない、」と言っている。
米寿を過ぎて人生の終末時計の秒針が刻一刻と刻まれてゆく。自慢史にならない自
分史を果たして書けるだろうか。今更ながら池波正太郎の筆力が羨ましい。
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