ミミズの戯言127,囲碁遍歴最終章  23,08,23

    閑話休題: 本題に入る前に一言、
  夏の甲子園で岩手花巻東と宮城育英が共に勝ち進み、遂に両校が激突し1枚上手の
  仙台育英高校が勝ち決勝にコマを進めた。決勝戦の相手は神奈川代表の慶応高校。
  私はこの3チームを応援していたが、心情的には育英の2連覇に期待する。しかし勝
  敗は時の運、どちらが勝っても勝者に祝福を、敗者には健闘を称えるエールを送る。
  
{本稿を脱稿するときには勝敗はいずれかに決定している。はたして・・・}

   さて、子供のころから慣れ親しんだ趣味の囲碁人生を回顧録にしたのが2010年8
  月に9回にわたって連載した「囲碁遍歴」である。初めて囲碁を教わった「ガラス屋」
  のオンツァン、田舎の碁会所で何度も手合わせをしたちょび髭の通称小狸さん、高
  校の数学教師ガンマさんと英語教師カッパさん、大学寮のB先輩、横浜尾上町の
  「保科道場」の猛者たち、会社のH先輩、同僚のNさん、家内の親戚K翁、義父など
  など思い出深い方々との逸話を書き連ねた。

   これで完結のはずだったが、考えてみれば「囲碁遍歴」を書いたのが2010年だか
  ら、あれから13年もたっていて、この間もまだ細々とだが囲碁人生は続いている。

   若いころのような波乱万丈の囲碁遍歴とはいかないが、それでも13年分の続きも
  書かねば最終章にはならないことにハタと気が付いたので、続きを書くことにした。
  若いころのようにドラマチックではないがこれをもって囲碁遍歴の最終章としたい。

   その後の囲碁人生で特記すべき交流は、何といっても昔の囲碁好きの仕事仲間の
  集まる「天狗会」への参加であり、葉山町の老人囲碁同好会「葉山棋友会」への参
  加だろう。天狗会への参加は2019年、葉山棋友会への参加は2020年で、囲碁遍歴
  脱稿のほぼ10年後である。

、  交流の深かったT社の役員S・Kさんはその後大手トラックメーカーの要職を務めた
  が、5年前の2018年の年賀状で、昔囲碁を競い合ったN発条のM会長が私の消息を
  知りたがっていて息災ならば久し振りで囲碁を囲みたいそうだと伝えてきた。新横浜
  の碁会所{白ゆり}に当時の囲碁仲間たちが集まり「天狗会」と称して楽しんでいる
  という。

   早速Kさんと連絡を取り新横浜まで足を運び、懐かしい囲碁仲間たちと久し振りに
  対局した。それ以来「天狗会」のメンバーとなって毎月第2木曜日に「二木会」と称
  して例会をやっている。席亭と試験碁を打ち一応6段と認定され会の最高段位者と
  して対局してきたが、しかしその後のコロナ禍もあり開催は一時中断、再開後も私
  は欠席している。

   葉山町の老人囲碁同好会の「葉山棋友会」は我が家の近くの福祉会館で毎週木・
  土・日の3回開催されていて、参加し始めて3年になる。年2回棋力別に大会が行
  われていて、私は7段としてAクラスにエントリーされている。我が家から徒歩5分
  の便利さだが、こちらも囲碁を打つ意欲が衰えここ1年ほどは参加していない。

   最近は、人と対局するのが煩わしく億劫なので、ネットで囲碁をやるくらいで囲碁
  からはしばらくは遠ざかっている。

   そのほか、20年程前に知り合い、釣り、ゴルフ、囲碁が好きな地元葉山のSさんと
  指導碁をやっている。腕は私に6目から8目置く程度の棋力だが、彼は結構負けず嫌
  いで、負けるともう一回もう一回と挑んでくるのが健気である。彼との対局も最近は
  遠のいている。

   平塚の1000面打ち大会と逗子の文化祭囲碁大会には毎年参加しているが、さて今
  年はどうしたものか。面識のあるプロ棋士との再会もあるし指導碁も受けられるので
  1000面打ちだけは顔を出すつもり。

   長い囲碁人生を振り返ると、挫折、中断、精進、上達、様々な局面があったが、
  改めて思うのは囲碁とは挫折と喜びを繰り返す人生の縮図、囲碁遍歴とは結局の
  ところ人との交わりの歴史だと思う。
  
   これにて「囲碁遍歴」最終章としたい。我が囲碁人生の終活宣言である。