ミミズの戯言125、馬糞(まぐそ)の川流れ22,08,22

   今では知っている人はほとんどいないと思うが、私が幼少のころ「トテ馬車」と
  いう馬車があった。バスのような小さな箱型の乗り物で、乗員は4人ほど、この
  乗り物に馬が繋がれて、馭者が馬を引いてのんびりと客を運ぶ。馭者が時折小さな
  ラッパを「トテトテ」と吹くので「トテ馬車」といった。

   その後間もなく、木炭バスが我が田舎町にも現れて「トテ馬車」は姿を消した。

   農耕馬のような逞しい馬は所かまわず路上に盛大に馬糞を垂れ流した。舗装もさ
  れていない土埃のする道路のど真ん中に、ホヤホヤで湯気が立つような見事な馬糞
  が取り残された。

   馭者はあと片付けをしないで進んでいくので2~3日も放置すると粘り気のない乾い
  た馬糞になり、そのうちに散り散りになって跡形もなくなった。80年も昔ののどかな
  田舎風景である。

   古い諺に「河童の川流れ」というのがある。泳ぎのうまい河童でも、水に流される
  ことがある。その道の名人でも、時には失敗することがある。という事の譬えである。

   これをもじった「馬糞の川流れ」という新語が、30年ほど前に自民党の金丸信が
  離合集散を繰り返す自民党の派閥争いを評していった。とされる。


   牛糞に比べて馬が食する草などを豊富に含んだ馬糞は水に溶けやすく、流すとすぐ
  バラバラになってしまう事から、「もともとどうにもならない者(馬糞)同士が、
  それでも何とかくっついていた。それが水の中に入ってモロモロになりバラバラに流
  されてしまうともう元の一つに戻ることはできない。派閥の離合集散なんてそんなも
  のだ。」という比喩である。因みに読みは「ばふん」ではなく「まぐそ」と呼ぶ。

   何とも泥臭い譬えで、さすが百戦錬磨の昭和の怪物、山梨の田舎育ちの金丸信らしい
  たとえ話で言い得て妙だ。

   金丸は、寄せ集めで集まっただけで結束していない人たちが、波にもまれてバラバラ
  に砕けてしまう権力志向だけの寄せ集め集団の脆さを痛烈に皮肉ったが、この皮肉は
  30年たった現在でも自民党や野党に当てはまる。

   今の政局を見ると昔も今も基本的な構図は変わらない。自民党最大派閥の安倍派と
  旧統一教会との癒着に国民からの厳しい視線が注がれているが、領袖を失った安倍派
  に他派からの引き抜き工作が激しく派閥は崩壊寸前で「馬糞」のごとき有様だし、野党
  においても烏合離散を繰り返し、政治的理念など与党も野党も最初からなく、あるのは
  「自分が政治家であり続けること」という欲望だけで、まさに「馬糞の川流れ」である。

   旧統一教会との関りを大慌てで否定し続ける大物議員や小物議員の弁明を聞くと、
  彼らの知能レベルの低さに驚く。タレント議員の言は論外。政治家の質がこんなに堕落
  したのかと唖然としてしまう。これでは何のための選挙だったか、これからしばらくは
  無風状態が続くと思うと実に嘆かわしい。

   政治向きの話には最近触れないことにしているが、一方、実業界を見ると、同様のこ
  とがしばしば企業においても思い当たる節がある。

   陽の目を見なくなった企業の領袖の影が薄くなってくると、多くの側近たちは薄皮を
  はぐように一人また一人と権力から離れていく。かくして一世を風靡した権力者は退陣
  し、新しい権力者にアリたちが蜜を求めてすり寄る。面従腹背、佞臣の跋扈、「馬糞の
  川流れ」が生まれる。

   そんな見にくい歴史の繰り返しに何かしらの教訓を見つけながら人々は生きてきた。

   この話は政局や企業だけの話ではなく、身近な身の回りの友人関係や果ては子供の
  いじめにも、仲たがいや「馬糞の川流れ」が当てはまる事を心すべきだろう。