ミミズの戯言124、左利き。   22,08,19

   久し振りの投稿です。どんな話題にするかとか文章を推敲することとかが面倒になって
  きて、HPの投稿をしばらくご無沙汰していたが、いつまでも物ぐさを決め込むとあいつ死
  んでしまったかなどとあらぬ憶測を生むので、重い腰を上げた次第です。

   先日、朝日新聞の天声人語に「左利き」の話題が掲載されていた。
  「左利きの日」という記念日があるそうだ。8月13日がその記念日で、左利きの生活環境
  の向上に向けた記念日だという。

   右利き用だけでない誰もが安全に使える道具を各種メーカーに対して呼びかけることを
  目的に提唱・制定され、イギリスの左利きの提唱者の誕生日にちなんだ記念日だそうだ。

   同様の記念日は日本にもある。2月10日が「0210」を英語で「左」を意味する「レフト」
  と読めることから日本では2月10日を「左利きの日」あるいは「左利きグッズの日」として
  いるそうだ。多少無理のある語呂合わせの記念日だし、これといった左利きグッズがあ
  るとも思えない。

   私は左利きである。便利なことは全くなくて不便なことばかりである。右利きには気が
  付かない事が多すぎる。世の中は右利きに便利なようにできているので、やむを得ず
  それに合わせるしかなく、「左利きは器用だ」などと心無い誉め言葉を聞かされると無性
  に腹が立つ。

   子供の時から「ギッチョ」と笑われて悔しい思いをした。右手を訓練したが克服できな
  かった。脳の神経が生まれつきそうできているのだろう。

  笑われるのが屈辱だった。その悔しい思いは忘れようとして忘れられない。言った方は
  軽い気持ちだったろうが言われた方の心の傷など気が付いていないようだ。

   歳をとった今でも自分が左利きだと名乗ることは抵抗がある。一種の劣等感が生涯つき
  まとっている。それに引きかえ今の若者は屈託なく左手で食事をしたり、ペンを持ったり
  しているのが羨ましい。欧米並みになってきたのだろう。

   左利きが不利な例をいくつか挙げてみよう。
  身近なところで、ズボンのチャックを左手で下ろしたり上げたりできますか?右手用に作
  られていると思いませんか?シャツのボタンはどうですか?ドアのノブを左手で開け閉め
  できますか?これ全て右利き用にできているのです。

   裁ちばさみ、鉛筆削りの小刀、新幹線の男子トイレには揺れ防止の取っ手が一つついて
  いますが、便器の右側ですか?左側ですか?答えは言うまでもなく左側です。などなど数
  え上げればきりがありません。

   子供のころは野球のグローブで不便を耐え、長じてゴルフのクラブ選びに苦労し、練習
  所の座席は向き合った人に迷惑になるから離れた場所を探し、結局練習が嫌いになった。
  初めて一緒にゴルフのプレーをするパートナーには、「私左利きですのでやりにくいと思
  いますがご容赦ください」、と必ず挨拶してからプレーをしたものだ。

   小学校入学前後に親父に箸を持つ手と筆を持つ手を強制的に直され、当時は泣きなが
  ら我慢をしたが、今ではそれを感謝している。重要な仕事上のVIPとの席で右手で食事や
  署名ができる安心感は親父の特訓によるものだった。そういえば右手の親父の書いた字
  は実に見事なものだった。

   30年も前のことだが、葉山カントリークラブで左利きだけが参加するゴルフ大会が開
  催され、取引先の左利きの某シングルプレーヤーに一緒に参加しましょうと誘われた。

   1994年に設立された日本レフティーゴルフ協会の主催で同会の会長は巨人軍でV9を
  達成した川上哲冶さんだった。

   当時ゴルフに熱中していたので参加に触手がうごいたが、全員左利きだと想像すると
  何か異様で気持ちが悪くて結局参加を断ったのだった。

   後年、箱根カントリークラブのメンバーだった川上さんと食堂でご一緒したときその話
  をしたら、話が弾んで次回是非参加してくださいと挨拶された。その機会はなかったが、
  左利きでの楽しい思い出はこの時ぐらいである。

   子供のころ草野球で急遽サードを守ることになり、ゴロを捕球して一塁へ送球したとき
  左肩に強い痛みが走り脱臼したようで、それ以降は肩が上に上がらなくなり、もっぱら見
  物側に回ることになった。それでも野球好きは今も続いている。根っからの巨人ファンで
  ある。それもこれも左利きのせいである。
 
   今は人前に出ることもなくなりジッと家に籠っている身なので体裁を繕う必要はなくな
  った。それでも右利きになるように多少訓練してある程度は右も使える。今では魚を捌く
  のも野菜を切るのも全て右利きでやれる。

   それにつけても、冒頭の左利き用の道具類の普及と安価な提供と、左利きに対する偏見
  などが少しでもなくなることを願っている。

   とりとめもない昔話でまさに戯言である。