ミミズの戯言122,方言の衰退。   22,05,20

   いよいよ梅雨入りの季節である。
  ものの本によれば、昔の人は5月を「歩き梅雨」6月を「小走り梅雨」6月末から7月
  は「走り梅雨」と呼んだ。昔の人は季節に敏感で表現に味わいがある。
  ここ数日は古人の言う通りまさに「歩き梅雨」で傘をさしたり走り出すほどの強さ
  でもなく、気にならない程度に柔らかな小雨が降り続いた。

   今年は沖縄の返還から50年、今沖縄の報道が熱い。NHKの朝ドラも時宜を得たよ
  うに沖縄が舞台で沖縄言葉が羽振りを利かせている。昨年の朝ドラは宮城県の登米
  市が舞台だったので、使われる方言は私には馴染みがあったが、今年の沖縄方言は
  まるでちんぷんかんぷん、だいいち出てくる食べ物すべてが私の好みとは違う。

   ソーキ蕎麦もゴーヤも、海ブドウも豚足も嫌い、魚も熱帯魚のようで嫌いだ。
  私は沖縄が苦手である。しかし琉球時代から明・清と薩摩の狭間で虐げられた沖縄
  の歴史、悲惨な太平洋戦争、取り残された戦後の基地問題など、沖縄を取り巻く地
  政学的な困難さには深く共感している。

   5月15日の朝日新聞の天声人語が沖縄の方言について書いている。
  <慶良間(けらま)見しが、まつげ見らん>。標準語に訳せば「青い海の先に慶良
  間の島々は見えるのに、自分のまつげは見えない。」意味は<灯台下暗し>に似た
  沖縄のことわざである。

   こうした人生訓や言い伝えを地元では黄金言葉(くがにくとうば)と呼んできた。
  たとえば<馬の走り>その意味は<光陰矢の如し>。地方色豊かな沖縄言葉は奥深
  い言い回しだ。

   ユネスコは沖縄伝来の言語そのものが消滅の危機にあるとした。明治政府が琉球
  を強引に併合すると、伝来の言葉は蔑視され、教室で口にした児童の首には方言札
  が罰としてぶら下げられた。
  
   〈生まりジマぬ言葉忘ねー国忘ゆん〉。生まれた島の言葉を忘れたら国を忘れて
  しまうと説く黄金言葉だ。天声人語は、かくも豊饒(ほうじょう)な言語がいつま
  でも大輪の花を咲かせますように。と結んでいる。

   私の実体験で言えば、上京してようやく東京弁に慣れたころ、たまたま帰郷して
  自宅で一晩寝た翌朝、寝覚めに無意識に出る第一声は不思議なことに忘れていた
  東北弁だった。

   友人達はそんな方言はもう死語だよ、と笑って指摘した。死語になっている古い
  田舎弁をことさら意識的に使って友人達との仲間である事を強調したのが恥ずかし
  い。

   東北随一の都会の仙台在住の友人が、独特のアクセントのある仙台弁を使うと、
  やはり気後れを感じたものだ。今はテレビで標準語が毎日耳に入ってくる時代だ。
  沖縄や東北だけでなく全国至る所で方言が衰退し、各地から個性豊かな方言が衰
  退滅亡の危機にある。

   私が子供のころ近所の店に駄菓子を買いに行く時にはお店の前で「かいす!」
  と大声で店のおばさんに声をかけたものだ。「かいす」とは「買います」の短縮語、
  ご近所の家を訪問するときには玄関先で「もうす」と声を出した。物知りの古老に
  よれば「もうす」は武家の言葉で「モノ申す」の短縮語で由緒ある言葉らしい。

   我々が幼い時に使ったこうした言葉は、今でも使われているのかどうかは疑わし
  い。標準語全盛の昨今はこれらの由緒ある言葉は死語になって、今の子供達には
  通じないのではないかと危惧する。寂しい限りだ。

   天声人語の言葉を借りれば、かくも豊穣(ほうじょう)な言語がいつまでも大輪
  の花を咲かせますように、である。

   民俗学者の柳田国男ではないけれども、地方の優れた無形文化財ともいえる方言
  が、後世まで大事に継承されることを願わずにいられない。

   因みに、私の家内は生まれも育ちも湘南の逗子なのに東北弁をよく聞き取れ、話
  すことも上手だ。どうも私の母との会話が新鮮ですぐに覚えたらしい。

   方言伝達の伝道師のように、時々私に「はやぐねらいん!」などと東北弁で話し
  かけてくる。勿論その方言はすぐにわかるが、わざと知らんふりをして煙に巻く。
  双方おとぼけで会話を和らげる。年寄りのたわいのない日常である。