ミミズの戯言121「約束の海」    22,04,09

   満開の桜が先日の雨で色褪せて、もうピークが過ぎてしまった。花びらがひらひら
  と舞い降りて花吹雪となり短い桜の季節は間もなく終わりを告げる。
  我が家から徒歩3分の花ノ木公園はソメイヨシノが咲き乱れ、近隣の花見客で賑わっ
  たが、それも終盤が近く、早くもツツジが赤いつぼみを見せ始めた。

   我々夫婦は例年車や電車で遠くまで桜見物に出かけたものだが、ここ数年はコロナ
  や体力的な不安から遠出は控えている。

   日本三大桜(福島県の三春滝桜、山梨県の神代桜、岐阜県の淡墨桜)も見たし、東
  京・神奈川の代表的な桜の名所もあらかた見た。新潟の友人から高田城の桜を見に
  来いと誘われていたがまだ実現していないのが少々心残りなだけである。

   いずれにせよ日本人は少しの例外を除いて概ね桜が好きな民族である。
  満開の桜もいいが、散りゆく桜に短い春の名残を感じて郷愁を覚える人も多い。

   桜に自分の心境を託す歌人は昔から沢山いるのも日本ならではである。西行法師は
  「願わくば 花の下にて春死なん」と贅沢な歌を詠んだし、本居宣長は「敷島の大和
  心を人問わば 朝日に匂う山桜花」と歌って日本男児の心意気を称えた。

   ソメイヨシノの特徴である「パッと咲いてパッと散る」姿が軍人の心意気を示すと
  されて、軍国主義盛んな時代には兵舎や学校にどんどん桜が植えられた。

   忌まわしいことだが、散り際を美しく死のうと若者に教え込み、盛んに「桜」の
  文言を多用した。予科練の歌「同期の桜」はその代表的な例である。

   日本の桜の約80%を占めるといわれるソメイヨシノ、沖縄でよく見かけたカンヒ
  ザクラ、オオシマサクラ、箱根や伊豆、富士山のの1500メートル以下の低山地か
  ら丘陵帯に咲くマメザクラ、別名「フジサクラ」はかって通い慣れた箱根CCでよく
  見かけた桜だった。様々な品種はそれぞれ特徴があって美しい。


   話変わって、私が新入社員として働き始めた1962年、T社から受注した海外向けの
  特需車両(米軍のオーダーによる特別車両で、不確かだがAPAといった記憶がある)
  の仕様書をもらいに愛知県豊田市のT社本社に出張して名刺交換した人が、当時輸出
  課長だった酒巻和夫さんだった。

   蛇足だが、頂いた仕様書は全文英語で書かれていたので、帰社後生産部門や部品
  調達部門に誤りなく内容を伝えるのに苦労したこと、車両完成の仕様チェックの立ち
  合いで大変緊張したことを覚えている。何せ新入社員だったので仕事は重荷だった。

   面談した酒巻課長は小太りで精悍な顔立ち、豪放磊落な印象を持った人だったが、
  後日彼の壮絶な経歴を知るに及んで大変な衝撃を受けた。

   何と酒巻さんは真珠湾攻撃の開戦早々、海軍少尉として2人乗りの特殊潜航艇に、
  5艇、10名で乗り込み、敵艦に体当たり自爆を敢行するという重大な任務を帯びた
  軍人の一人だった。
  

   艇のジャイロコンパスの故障のため方向性が狂い、やむなく突撃を断念して艇を
  爆破させ、海中をさまよった酒巻少尉は、意識不明のままアメリカ軍の捕虜第1号
  となり、終戦まで捕虜生活を送った。

   獄中で「帝国軍人の名誉のため自決させてくれ!さもなければ殺してくれ!」と
  叫んだそうだが、一切聞き入れられず生きて虜囚の恥を受け続けたそうである。

   特殊潜航艇の兵士の残り9名は「9軍神」と称えられ新聞にも大々的に報道されて
  国葬まで行われたが、1名が欠けた真相は終戦まで公表はされなかった。酒巻さん
  は復員後も突撃断念の顛末を終生家族にも語らなかったという。

   数奇な経験をした氏は、復員後捕虜時代の英語力を生かしてT社の輸出課長を永く
  勤め、後年ブラジルT社の社長を勤められた。私の名刺箱には輸出課長時代の酒巻
  和夫さんの名刺が大切に保管されている。


   山崎豊子の絶筆となった「約束の海」は海軍少尉酒巻和夫氏の数奇な人生を題材に
  した長編小説の予定で、第2部、第3部まで構想が出来上がっていたそうだが執筆の
  途中で逝去されたので、第1部のみが執筆・出版されて残りは未完となっている。

   その著書の中で酒巻さんの捕虜時代の苦悩を示す短歌が紹介されている。軍人らし
  く桜に自分の心境を託している。

   「桜花 散るべき時に散らしめよ 枝葉に濡るる 今日の悲しみ」 この短歌に
  解説は無用である。獄舎のなかで自決を許されなかった酒巻少尉の無念を只推し
  量るのみである。 

   折から、ウクライナではプーチンの起こした戦争で民間人が大量虐殺されている。

   かってニューヨークの貿易センタービルがアルカイダのテロで倒壊したその年に
  私はロータリークラブの仲間たちと鹿児島の知覧飛行場跡の記念館をを訪れた。

   記念館で、まだ20歳そこそこの特攻兵士の書き残した数々の遺書を読み、特攻
  兵士とアルカイダ兵士の 明日なき命という共通点、人の命と運命について深く考
  えさせられたものだが、今年も繰り返される散りゆく桜を見ると、酒巻少尉や罪も
  ないウクライナ市民の悲劇を深く思わずにいられない。

  戦争にはいかなる正当性も存在しない。人命の前ではいかなる弁明も許されない。