ミミズの戯言120池波正太郎食べある記。 22,02,11

   池波正太郎ファンを自認する私は彼のほとんどの著作を20年も前に読み終えている。
  書架には100冊に近い文庫本がひしめいていて読み残しの本は多分ないはずだ。

  代表作の鬼平犯科帳、剣客商売、仕掛け人・藤枝梅安、真田太平記、その他多くの戦
  記物、忍者物などは何回も読み直して、その都度新しい魅力の発見があり、江戸っ子
  の歯切れの良い池波流の文体が気に入っている。

  テレビドラマでも中村吉右衛門扮する鬼平こと長谷川平蔵、緒形拳扮する梅安こと藤枝
  梅安、藤田まこと扮する秋山小兵衛の魅力に取りつかれ、寝る前にベッドの布団の中で
  30分ほど彼の著作を読むのが習慣になっている。安眠のための私のルーティンである。

  氏は食通としても有名で、死後30年にもなるというのに、いまだに池波正太郎が愛し
  た店というブランドを誇りにしている食べ物屋が多い。

  私の書架には「食卓の情景」「池波正太郎の銀座日記」「散歩のとき何か食べたくな
  って」「昔の味」「包丁ごよみ」「男の作法」「日曜日の万年筆」など、食に関する
  うんちくを傾けた本がずらりと並んでいる。

   これ等の本に出てくる店を探索したくて、20年ほど前まではよく妻と一緒に店を探
  して推奨の食べ物を味わったものだ。期待通りの店がほとんどだが、中には好みに合
  わない食べ物屋もあって期待はずれでがっかりしたこともある。

   期待外れの代表は信州上田の蕎麦屋「刀屋」の蕎麦。長編小説の真田太平記に登場
  する真田昌幸、信之、幸村親子が活躍した上田城と、池波ゆかりの品々が展示されて
  いる「真田太平記館」を見物し、池波が絶賛した「刀屋」の蕎麦を食べに行ったのは
  10年程前だろうか。

  彼はこの店の蕎麦を東京では口にする事の出来ぬ本物の手打ちで、蕎麦きりは手練
  の技だと激賞しているが、食べてみると水っぽくて私の好きな腰のある蕎麦ではなか
  った。おそらく池波人気に胡坐をかいて、先代の打つ蕎麦とは違った二代目の蕎麦
  になってしまったのかもしれない。

   期待外れのもう一軒は浅草の名前は忘れたが「しゃも鍋屋」。新婚ホヤホヤの長女
  夫婦を連れて家族5人で食べに行ったが、脂ぎっていて5人ともに閉口し、急遽すき
  焼きで口直しをしたことがある。鬼平犯科帳では「五鉄のしゃも鍋」として鬼平が好
  んで食べたとされていて、そのモデルの店だったというが、ここも期待外れだった。

   ついでだが、近くの「駒形ドぜう」は、やや高級になってしまったが懐かしい味で、
  時々立ち寄った。昔、田舎の田んぼでドジョウがよく取れて母親にドジョウ鍋を作っ
  てもらったが、卵でとじたあの味は忘れられない絶品だったと記憶している。

   能登に住む弟から、最近イソップ社から馬場啓一著の「池波正太郎が通った店」と
  いう単行本が出版されたから、暇を見て店を探訪したら・・とメールをしてきた。

   コロナ禍でもあり何よりも体調がままならないので、折角の情報だがしばらくは叶
  えられそうもない。ネットで本だけは購入して読んでみた。掲載されている店のほと
  んどが既に読んだ「食卓の情景」や「散歩のとき何か食べたくなって」や「銀座日記」
  などに登場する店で、ジャーナリストの馬場啓一氏が15年前に出版した同名の著作
  の改訂版だった。

   丹念に池波の辿った足跡を訪ねて食べ歩き、没後30年たった今も店が現存している
  か廃業したか、主は健在かを調べた著書だった。東京、横浜、名古屋から桑名、多度、
  そして伊賀上野ときて、関西圏は奈良、大阪、そして京都、さらには飛んで金沢。
  これが池波が食べ歩いた土地である。本書ではこれ等の土地をくまなく食べ歩き、い
  わば「追っかけ」の食い旅をした記録である。廻った店は実に123軒、よくぞ食べ歩
  いたと感心する。

   これ等の店の中で、私が食べ歩き印象に残った主な店を紹介すると、家内と2人で
  時々食べた銀座3丁目の「煉瓦亭」のポークカツとオムライス、私の古希祝で家族9人
  が集まった銀座8丁目の「資生堂パーラー」のビーフシチューとミートコロッケ、次女
  の婚約記念に双方の家族で食べた神田駿河台の「山の上ホテル」の天ぷら、歌舞伎座
  で歌舞伎見物の帰りに立ち寄った銀座8丁目の「竹葉亭」の鰻。

   日本橋の散策で立ち寄った室町の「たいめいけん」のオムハヤシとボルシチ、
  日本橋浜町の「藪蕎麦」と「室町砂場」の蕎麦がき、神田淡路町のそば屋「まつや」
  の天ぷらそば、雷門の「並木藪蕎麦」の腰のある蕎麦、浅草駒形の「駒形ドぜう」
  少々値が張るが同じく駒形の隅田川に面したウナギ料理屋「前川」のうな重。

   横浜に飛んで「荒井屋本店」の牛鍋、中華街の場末にある目立たない中華料理店
  の「清風楼」「蓬莱閣」「徳記」のシュウマイとラーメン、伊勢佐木町の支那飯屋
  の「博雅」のチャーハンとラーメン。古い横浜を偲ばせる関内の居酒屋の「根岸屋」
  ニューグランドホテルのスパゲティ・ナポリタン。

   とりわけ私にとって懐かしいのが「徳記」と「博雅」のラーメン。手打ちの細麺で
  鶏ガラのスープが絶品で学生時代に良く通ったものである。

  「博雅」は昔鎌倉駅前の小町通の入り口にも出店していて、貧乏学生の私はラーメン
  と半ライスでよく空腹を満たしたものである。惜しいことに「博雅」は数十年前に
  廃業してしまい、もうあの懐かしいラーメンは食べられない。

   残念なのは野毛の餃子屋「万里」の餃子の記載がない事。これぞ餃子と呼べる名物
  なのだが、さすがの池波もこの店を知らないらしく載っていないのは残念だ。

   小田原の「ダルマ屋」の天丼が載っていた。建物は楼閣風で国の登録有形文化財
  になっている。一昨年まで伊豆スカでゴルフをした帰りにここに立ち寄り、4人でビー
  ルと日本酒を飲み、濃厚なタレの天丼を食べてゴルフの「握り」の精算をしたものだ
  が、このところとんとご無沙汰である。

  そのほかにも書き漏らした店もいくつかあるだろう。しかし池波正太郎の食べある記
  の驚異的な数に比べては足元にも及ばない。これ等の店を探索して食べ歩いて久しい
  が、時々思い出しては郷愁にそそられる。いつかまた訪れることがあるだろう。

   取り敢えずは横浜の場末の中華料理屋に久し振りで立ち寄ってみたい。「博雅」が
  廃業したので、「徳記」のラーメン餃子を久し振りで食べてみたい。

   体がお酒を受けつけなくなったので昔のように老酒や白乾児(パイカル)や五加皮
  (ウーカーピー)といった怪しげな安酒を何杯も飲んでというわけにはいかないし、
  食べるほうも旺盛な食欲がなく、往時の半分も食べられないが、記憶にある昔の
  味は今も健在なのだろうか。