ミミズの戯言119、天声人語 ![]() かれこれ60年も毎朝読んでいた朝日新聞の購読をある事情で毎日新聞に切り替えた。 理由は集金人とのたわいのない衝突が原因だからなんとも大人げない話である。 それでも私はネットで朝日、毎日、読売、日経、他数紙の記事を読んでいるので情報 取得に不便はないが、毎朝読んでいた新聞がある朝突然変わるのは何とも不便である。 ネット配信はすべて無料配信なので、読んでいると必ず「有料記事」にぶつかり読め なくなる事がしばしばある。そこで朝日だけは「有料記事」が読めるように、月々の購 読料を払ってネットで全部を読むことができるようにしてある。 先日来宅した知人が朝日新聞がつまらなくなったと漏らしていたので、少し思い出話 を紹介する。実は私も最近の記事、特に「天声人語」は魅力に欠けていると感じていた。 横須賀ロータリークラブの先輩で、私が私淑していた今は亡き元朝日新聞論説主幹の 今津さんの肝いりで、横須賀市在住の、過去にきらびやかな経歴を持つ6人の賢人達が 集まって「賢人会」を結成した。乞われて私も恐れ多くも末席をけがす羽目になった。 もう10数年も前の話である。 長崎の五島列島出身の著名な写真家の田口さんは、時々相模湾と江の島を見おろす 高台の瀟洒な邸宅に我々を招いて、五島から取り寄せた新鮮な魚や肉料理をふんだん に振る舞ってくれた。 ある席で長老の田口さんが「朝日は腰抜けになった」と今津さんにかみついた。 同席していたメンバーの元朝日新聞政治部長の西村さんが弁解に大わらわだったのを 思い出す。 「賢人会」はある種の政治放談で、特に印象に残っている話題は、太平洋戦争前後 の朝日新聞の変節と戦争加担、日韓問題と民間交流、従軍慰安婦論争、若泉敬と沖縄 復帰問題、ダム建設と水没農村、三木睦子さん(三木武夫首相夫人)と憲法9条の会、 などが懐かしい。 放談だから皆さん個性的な意見ばかりだった。新聞社出身の今津さん、西村さん、 写真家の田口さん、文藝春秋社の白岩さん、大手文房具店を営む川島さん、それに 私が加わった6人と彼らの令夫人がメンバーだが、今ではその半数が鬼籍に入られた。 いい酒が手に入ると時には一献傾け、興に入れば高歌放吟も辞さず、私もついその 雰囲気に飲まれて、森繁久彌の「銀座の雀」などを吟じたものである。 私の書く拙い「ミミズの戯言」を気に入ってくれた今津さんのコネで朝日新聞社の 現役やOBとの面識が深まったが、彼らの多くは多かれ少なかれ「天声人語」に関わ っていたようだ。 天声人語はファンが多く、自由闊達なコラムの論調は、簡にして密、寸鉄人を刺す 評論があるかと思うと、道端の小さな花に心を寄せる心温まる記事もあり、毎朝読む のが楽しみだった。 私の「ものの考え方」や「文章の書き方」、言い換えれば人となりの骨格は、少な からず「天声人語」に影響を受けたといっても過言ではない。 特に1970年代に3年ほど天声人語を執筆し、新聞紙上最高のコラムニストと評され ながら急逝した記者、深代惇郎は日本のマスコミ史上、最高の知性派の一人と言わ れた。 彼の「天声人語」に魅了されていた私は、深代惇郎の同僚だったM氏などから幾つ もの逸話を聞きおよび、深く感銘を受けたものである。 「天声人語」の執筆は論説委員が1人もしくは数人で担当し、取り上げるテーマは 「世相」「社会」「政治」「経済」「若者」「戦争」等あらゆる分野に及んでいる。 歴代執筆者の中でも名文が多いと言われるのが深代惇郎と辰濃和男で、2人は 「文章のお手本」とも言えるわかりやすい文章で人気があった。 「天声人語」は文字数603字、起承転結を表す区切りの▼印は、全文中に5個が原 則となっている。これは私が最も参考にした短文の作法だった。 裏話だが、コラムの執筆者は毎日迫ってくる原稿の締め切り日まで、題材や文章の 構成など悪戦苦闘して書き上げたらしい。廊下ですれ違って声をかけても、返事もせ ず、あらぬ方向を見ながら苦吟している様子をM氏は何度も見かけたという。 そんな苦労を微塵も見せない軽いタッチで書き上げた名コラムを、我々読者は毎朝 楽しんできたのである。 ニュースや旬の話題など 「いま」と向き合い様々なメッセージを送り続けてきた 「天声人語」が、最近どうも旬の香りのない平凡なコラムになってしまったと、田口 さんは鋭く指摘したのだった。 あれから10余年、私も全く同感で、いまの「天声人語」はどうも物足りない。心に 響く何かが足りない。執筆者たちには深代惇郎や辰濃和男のような、鋭く世相を切り、 旬の香り高いコラムを期待しているのは私だけではあるまいと思う。 。 |