ミミズの戯言114認知症。    21,02,15

   間もなく2月26日が来る。この日は私にとってはある種の記念日である。

   昭和11年2月26日は日本中を震撼させた2・26事件が起きた日だが、私の両親の結婚
  記念日でもある。「昭和維新」を掲げて陸軍若手将校が決起した2・26事件の顛末は、
  三島由紀夫の小説「憂国」や立野信之の「反乱」など多くの小説に書かれているし映画
  化もされている。

   戒厳令が布告され緊迫した東京から遠く離れた東北の片田舎では、「長持ち唄」や
  「さんさ時雨」を歌って「あ~めでたい、めでたい♪」 と、のんびり祝い酒でも飲
  んでいたのかと思うと、昭和初期の都会から隔絶された古き田舎風景を偲ばずにいら
  れない。

   翌年、後の日中戦争につながる盧溝橋事件が起きた3日後の、昭和12年7月10日に
  私は生を受けた。近衛文麿首相が戦線不拡大方針から一転して軍隊派遣増強を決断
  した日である。激動の2つの記念日が私の波乱万丈を予感させた。

   その私も今年で84歳、あちこちにガタが来てすぐにふらつく歳になってしまった。

   足腰の衰えはもちろんの事、腰痛に糖尿病、心臓病、便秘、視力減退、特に最近は
  聴力がとみに衰えて電話の声もTV音声も聞こえ難くなってきた。家内からは補聴器を
  つけてとしつこく催促されるありさまである。

   老いの兆候が顕著になると、物覚えも悪くなり、新しいことをすぐ忘れ、家族からは
  時々、認知症ではないか?と心配される時すらある。

   さる学生時代の某友人や某ゴルフ仲間が以前と比べて少し様子が変で、周りからは
  「彼は認知症らしい」と噂話をされている。しかし当の本人はまるでそんな噂は知ら
  ないのだから、噂話とは怖いものだ。

   もしかして私もそのような陰口を囁かれているかもしれない。歳を取るとはそんな
  ものなのかもしれない。

   認知症はその昔「痴呆症」と呼ばれていたが、「痴呆」では個人の名誉と尊厳を傷
  つける侮蔑的な呼称だとして、20年ほど前から「認知症」と呼称されるようになり、
  痴呆とか阿呆、などという言葉は差別用語として今では死語になっている。

   箱根CC時代の知人の医者が、「年相応の物忘れ」と「病的な物忘れ」の違いを教
  えてくれたことがある。

   彼によれば、高齢者の老化は認知症だけでなく、「正常の老化」や「うつ病」に
  おいても現れる。正常の老化では物忘れがひどくなったという「自覚」がある。自覚
  があるうちは「正常な老化」だから大丈夫だ。
   
   一方認知症の場合は、物忘れをしていることの「自覚」に乏しく、記憶の全部が欠落
  している。こうなると「病的な物忘れ」で、病院に連れていかれても、何故連れて来ら
  れたのかが理解できない。

   「年相応の物忘れ」による障害が進んでいても、まだ「認知症」にはならない時期、
  つまり正常と認知症の境界領域にいる状態を「軽度認知障害」(MCI)という概念で
  区別するそうだ。 ※ MCI;Mild Cognitive Impairment
   認知症の有病率は75歳以上で10%を超え、85歳以上では27%と急増するので「軽度
  認知障害」の段階で進行を止める必要がある。

   予防策としては、①適当に頭を使う。日記をつけたり趣味を生かして絶えず脳に刺激
  を与える。②適切な運動、有酸素運動を続ける。③正しい生活習慣を守る。事が有効
  だと力説されていた。

   ゴルフはとりわけ有効なので、同伴者の名前を忘れず、正確にスコアをつけ、せっせ
  と歩くことが「軽度認知障害」者には必要だという訳だ。

   囲碁をたしなむ人は認知症にはならないと聞いたことがあり、私は認知症とは無縁だ
  と以前から過信しているのはそのためである。

   今後高齢者はますます増加していく。
  先日、オリンピック組織委員会の森喜朗会長が女性蔑視発言で辞任した。
  世間の非難は当然だが、非難の多くは「女性蔑視」と「老害」のふたつで、時代を読
  めない頑迷な老人は早く退陣せよと大方は主張していた。

   人はともすれば性別、老若、肌の色、等で一括りして批評する悪癖がある。
  古くはヒットラーが「ユダヤ人」という人種概念だけで抹殺したり、米国では肌の色
  だけで白人が黒人を差別したり、事例は枚挙に事欠かない。

   森喜朗会長が女性を蔑視したのは論外だが、非難する側にも「老人の弊害」を叫ぶ
  ことが、自ら老人を一括りして蔑視差別していることに気が付かない。

   ユダヤ人や黒人に優れた人物がいたと同様に、老人にも優れた識見のある人材が
  沢山いる。「やはり女性はダメだ。」とか 「やはり老人はダメだ。」と一括りして
  非難するのは同根の誤りである。「女性蔑視」も「老人蔑視」も蔑視に変わりはない。

   大切なことは、「女性とか老人とか一括りにする事は差別になりやすく、個人1人
  1人の資質で判断すべきだ。」と知ることである。

   川淵三郎氏84歳、森喜朗氏83歳、小生も83歳、皆老いぼれ仲間だが、自分で自分
  のことをおいぼれとは言うが、他人に老いぼれとか老害と言われるのは腹が立つ。
  ましてや「痴呆症」、ボケといわれるのは屈辱の極みである。