ミミズの戯言111、駅の立ち食いソバ。 20,10,14 天高く馬肥ゆる秋、秋の味覚といえば、柿、栗、秋刀魚と相場が決まっているが今年は 秋刀魚が歴史的不漁で、スーパーでも痩せた小さめの秋刀魚しか目に入らない。 おまけに中秋の名月も過ぎたというのに秋晴れの快晴にはなかなかお目に掛かれない。 台風の影響からか雨や曇り空が多い。「大工殺すにゃ刃物はいらぬ、雨の三日も降れば いい、」 ということわざがあるが、”船頭”殺すにゃ刃物はいらぬ、とばかりに海が荒れて 釣り船屋も出船取りやめが続いている。いい加減日本晴れが続いてほしいものだ。 秋刀魚と並んで秋のもう一つの味覚は新そば。秋風が吹き始め、温泉でほっこりしたく なる季節。そんな季節は、薫り高い新そばの季節の到来となる。 日本中のそばを食べ歩く蕎麦好きは多いが、それほどではないにしても私も結構な蕎 麦好きである。料理教室でそば打ちを習い、自前の道具一式を持っていて、興に乗れば そばを打つ。腰の力と腕力が衰えて、そば粉をこねる力不足の為満足な蕎麦が打てなく なったが、家で食べる分には不自由しない。 薫り高い新そばで打つ盛りソバもいいが、なぜか立ち食いそばではモリは食べない。 私は若い時から駅の立ち食いそばのカウンターで熱いそばを食べ、少し辛めのそば汁 も残さず食べきるのが常だった。 かき揚げそば、山菜そばが好きで、ワカメ蕎麦、とろろそばにも目がない。これを食べ れば大満足で元気モリモリの一日を過ごせた。塩分が多いので糖尿病になったのはそ のせいだろうか。いまでも立ち食いソバの暖簾を見ると誘惑にかられる。三つ子の魂百 までもである。 長野県のさる地方新聞の社会欄の片隅の記事が目に留まった。松本駅の大糸線と 上高地線の始発、6番線のホームの奥にある駅そばが9月30日ひっそりと閉店したとい う記事である。通学生や観光客、登山客に人気のソバで、特上かき揚げそば、安曇野 葉ワサビ蕎麦、が自慢という名物おばさんの記事が載っていた。 今年7月に安曇野~松本旅行をしたとき、この店に何度も入ろうとしたが、遂に入り そびれた悔いの残る立ち食いソバだった。 安曇野に行く往路では松本駅をパスして穂高駅の駅ソバを昼食として食べ、翌日の 帰りには穂高の町の蕎麦屋でソバを食べ、遅い昼食に松本市内見物でソバを食べた ばかりなので、遂に松本駅の立ち食いソバ屋の暖簾をくぐることはできなかった。未練 たっぷりで帰りの電車に乗ったものである。 今でも旅行など電車待ちをしているとき、香ばしいソバの匂いがすると、気になって 年甲斐もなく立ち食いソバを注文してしまうことが多い。 駅の立ち食いソバは子供の時から目がなく、高校時代の一関駅の立ち食いソバに は郷愁があり、昨年一関を訪問した時、どうしても入りたくなり、衝動的に注文してしま った。微かに記憶に残っている昔の味とはまるで違うが懐かしかった。 今でも新横浜の碁会所「白ゆり」に行く時、駅構内の立ち食いソバを食べる習慣が 続いている。若い時のようにむやみに食べる旺盛な食欲はなくなってしまったが、80 歳を過ぎても食いしん坊健在である。 駅の立ち食いソバで思い出すのは、逗子駅、大船駅、戸塚駅、、新横浜駅、などの JR線や金沢八景駅、追浜駅など京急線の駅の構内にある立ち食いソバ、豊橋、東 岡崎などの名鉄線、新幹線駅では、名古屋駅のきしめん、横浜駅構内のラーメンな どに懐かしい思い出がある。 旅先の途中駅の立ち食いソバはサラリーマンの人気スポットだった。これらの店は いつしか少しずつ姿を消して今ではほとんどが閉店してしまった。「昭和は遠くなりに けり」。 コロナ禍で売り上げ激減したのが廃業に拍車をかけているのだろうか。 思い出の立ちソバ屋は私にとってはもう立ち寄ることもかなわない夢物語になった。 そういえば、鎌倉駅前や逗子駅前、横須賀中央駅前等のロータリーに毎夜出没し た夜泣きソバ(ラーメン)は今はまるで見かけなくなった。夜の歓楽街でしこたま酒を 飲んだあとの屋台のラーメンは殊の外美味しかった。今考えれば不健康極まりない 所業だが、当時は若気の至りで夜な夜な通ったものだった。 今の若者には考えられない懐かしい思い出である。 |