ミミズの戯言11、憚らずに言うなら。  10,07,27

    大暑を過ぎたというのに、日本列島は連日35度を超える熱波の毎日である。
   かと思えば九州・西日本は豪雨・土砂崩れで多くの被害者が続出した。目を世界に
   転ずれば、アメリカ・ヨーロッパも同様の酷暑で、ロシアではモスクワが130年の観測
   史上最も暑い37,9度を記録したそうだ。
    一方、南米では逆に大寒波が襲来して多数の凍死者がでている。近隣アジアでは
   大洪水が頻繁に起こり、至る所で犠牲者が生まれている。世界中が異常気象の影
   響を受けている。

    夏、恒例の土用の丑の日、鰻の稚魚のシラス不足から、うな重の値段も「うなぎの
   ぼり」に高騰する有様だ。これも海流の異常水温のなせる業という。

    私事だが、先日箱根CCの開場記念杯招待ゴルフに参加して、海抜700mの涼風
   にも拘らず、生まれて初めて熱中症に罹った。目が眩み、視界が真っ白になり、耳
   鳴りがして自分の声が聞こえなくなり、足が吊って歩けないという、後で聞くと典型的
   な熱中症の症状だった。勿論、途中リタイヤして氷で頭を冷やしようやく小康状態に
   なったが、これも私の加齢に伴う対応能力の衰えとはいえ、連日の酷暑がもたらし
   た常ならざる事件でもあった。  

    地球温暖化が進み、地球には人間の計り知れない異常現象が頻発している。
   大自然の恐るべき猛威には所詮人間の知恵なぞ及ばないのだろう。大袈裟に言え
   ば人類存亡の危機が迫っていることに気づくべきだが、目先の利害に汲々とするの
   が悲しい人間の性というもので、いずれは後の祭りになるのであろうか。

    最近の土砂崩落は表層崩落ではなく深層崩落が多く、崩落の規模も被害もけた
   違いの大きさになっている。先日釣果のメバルとカサゴを持参して、A新聞社元論
   説主幹の今津先輩宅を訪問した際、豪雨・土砂崩れ・土石流について話題が弾んだ。

    黒部ダム建設の秘話、ホー雪崩れの恐ろしさ、など例によって密度の濃い話題
   になったが、土砂崩壊の激しいことで知られる立山カルデラの一角に建立されて
   いる、幸田文の「憚らずにいうなら・・」の書き出しに始まる文学碑のことを紹介さ
   れた。この碑は多分、わが国屈指の急流河川、常願寺川の源流のある立山山系
   の山々の崩壊・大土石流の爪あとを眼前にした述懐なのであろう。

    私のホームページの「掲示板」に投稿された今津先生の一文をお読みになった
   方のために、話の続きを紹介しておこう。幸田文の文学碑はこういう文章です。

        憚らずに言うなら、見た一瞬に
        これが崩壊というものの本源の
        姿かな、と動じたほど圧迫感が
        あった。
        むろん崩れである以上、そして
        山である以上、崩壊物は低いほ
        うへ崩れ落ちるという一定の法
        則はありながらも、その崩れぶり
        が無体というか乱脈というか、
        なにかこう、土砂は得手勝手に
        めいめい好きな方向へあばれだ
        したのではなかったか。
        −私の目はそう見た。

               幸田文
          (立山カルデラ・文学碑)

    今から150年ほど前の安政年間に富山地方を襲ったという大崩落の爪あとを
   見たに違いない幸田文の文学碑の冒頭には、「憚らずに言うなら・・」と書かれて
   いる。なぜあえて「憚らずに」と言う必要があったのだろうか。憚ることなど何もな
   かろうに・・・。おそらく彼女の感性をもってしても圧倒的な自然の所作を表現しつ
   くす言葉が見つからなかったのであろう。

    憚るとは恐れいることである。つまり憚らずにとは、恐れ入らずにであり、思い
   切ってとか、または遠慮せずに、などと置き換えられる。圧倒的な崩落のすさま
   じさの光景を眼前にして、言うべき言葉もなかったであろうが、露伴の血を引く
   彼女の作家魂が渾身の表現力を駆使して、山の崩れぶりを「崩壊の本源の姿」、
   「無体、乱脈」、と憚らずに言い切ったのであろう。

    歴史は繰り返す。それは人間の歴史であれ、天災の歴史であれ同じである。
   立山の大崩落も、最近の九州の深層崩落も又いつの日か”無体に””乱脈に”
   その姿を何処かで見せつけることだろう。

    願わくば立山カルデラに立つ文学碑が単なる自然の驚異を記録するモニュ
   メントに終わらず、自然への畏怖と将来への警告であって欲しい。人智を尽く
   しても自然の力には無力だが、天災の計り知れない巨大さと凶暴さを後世に
   伝え、自然を恐れ、せめて被害を最小限に食いとどめるための教訓にして欲
   しい。

    今日も先輩と有意義なひと時を過ごすことができ、深く感じるところがあった。