ミミズの戯言105、バックウオーター現象。 19,10,18 何ともすさまじい台風の爪痕だ。台風15号に続く19号で関東・東北地方は近年 まれにみる災害に襲われた。早くから天気予報では狩野川台風に匹敵する台風 の襲来と警告し、備えと避難を呼びかけていたが防ぎきることができなかった。 自民党の二階幹事長が「この程度で済んでまずまず」と語り、直後に慌てて取 り消したが、惨状が明らかになるにつれ、発言の軽率さを後悔していることだろ う。しかし台風の準備の万全さを自慢したいらしいから存外本音かもしれない。 あれほどテレビで頻繁に注意を呼びかけ、各市町村がこまめに避難勧告を出し たにもかかわらず、10月17日現在の被害状況では、全国で死者77名、行方不明 者16名に達し、さらに日に日に被害の全貌が明らかになってきた。特に福島・宮 城での死者の数が突出している。 被害は関東、甲信越、東北の12県まで広範囲に及び、堤防の決壊数は18年 の西日本豪雨を上回る7県、59河川、90か所、となった。 各地で 「同時多発的」 に河川の氾濫、堤防の決壊がおき、多数の死者が出た のが今回の特徴といえる。 長野県の千曲川流域、宮城県丸森町、福島県本宮町などの河川の堤防決壊 は、本流と支流の両方が同時に増水し、支流の水が行き場を失い逆流する「バ ックウオーター現象」が起きたためと専門家はみている。 「バックウオーター現象」といえば、忌まわしい思い出がある。 1947年(昭和22年)のカスリン台風、翌年のアイオン台風が連続して岩手県を直 撃し、岩手県一関市では二つの台風で死者800名を超える大きな被害を出した 時のことである。 この水害では、岩手県南部を流れる本流の北上川と支流の磐井川が同時に 増水し、行き場を失った磐井川の水が逆流して上流からの水とぶつかり、磐井 川が一気に増水する、いわゆる「バックウオーター現象」を起こした。 水嵩が一気に増加して堤防が決壊し、逆流した濁流が奔流のように市街を襲 った場所が私の母親の生家のある一関市だった。 濁流は生家の2階まで急激に押し寄せ、家屋は倒壊寸前まで傾き、隣家は跡 形もなく消え失せ、私の曾祖母は逃げ遅れて水死し、当時一関にいた私の弟な どは九死に一生を得た。 この、「バックウオーター現象」による水害の水嵩の高さは、市内にある土蔵 の白壁の2階部分まで生々しい痕跡を残していて、後々まで語り草になった。 現在では駅前に当時を偲ばせる記念碑が建っていて鎮魂祭も行われている。 その後川幅の拡幅と堤防の嵩上げ工事が行われ、周囲の景色は一変したが、 70年たった今、今回の台風での「バックウオーター現象」による被害を知るに つけ、水と人間の果てしない知恵比べは収まりようもないことに気が付く。 今回の19号台風の報道には少々腑に落ちないことがあった。 テレビ報道では、狩野川台風に匹敵する大型台風で、風速60~100mというと てつもない風が吹くとして風害の危険を呼びかけ、雨量よりも風速重視の報道 だった。事実、かなりの風害もあったが結果的には膨大な雨量が被害をもたら した。 また、台風の上陸地点は本州、中でも東海地方と関東地方だとして、主に関 東地区の住民に厳重注意を呼びかけたが、被害は広範囲に及んだものの、 特に東北地方の福島・宮城に甚大な被害をもたらしたことである。 一方、危険の周知徹底、避難の呼びかけ、避難の誘導、等にはいくつかの 課題を残したとはいえ、過去の教訓がかなり生かされてきたと感じられた。 我が葉山町でも、海岸沿いの住民が学校や福祉会館などの避難場所に前 夜から数百人が避難できた。しかし全国的にみるとまだまだ老人を中心に避 難指示に従わない人が多いようだ。幸い高台にある我が家の被害は瓦が少し 破損した程度で収まった。 ハザードマップの配布も随分周知徹底されてきた。しかし全国的にはマップ の整備普及や運用面はまだまだ遅れているようだ。 報道されているように、箱根は1000ミリを超える過去最大の降雨量に襲われ て道路が寸断されているので、私のホームコースの箱根CCゴルフ場には暫く は行けない。 箱根登山電鉄も土砂とがけ崩れで線路が埋没して復旧のめども立っていな い。秋の行楽のシーズンに入るので箱根は人気のスポットだが、行楽客の足 は遠のくだろう。 今年は台風の当たり年らしい。矢継ぎ早に台風20号と21号が接近してきた。 災害にあった人々の生の声を聴くにつれ、重なる被害が少なからんことを祈 らずにいられない。 |