ミミズの戯言104嘲笑する政治。  19,07,20

   久し振りに政治の話題を一つ。今日7月21日は参議院選挙の日。年金、憲法、消費税が
  争点のようだが、もう一つの見方、「嘲笑する政治」を信任するかどうかの視点を忘れては
  ならないと思う。

   「笑い」は人間関係の潤滑油だが、ただし、他人を見下す「笑い」となれば話は違う。
  安倍晋三首相は2月の自民党大会以降、民主党政権を「悪夢」と言って会場の笑いを誘う
  挨拶を十八番(おはこ)にしてきた。

   二階派など主流各派のパーティーに顔を出しては、「悪夢」発言を繰り返した。笑いや拍
  手は確かに起きた。それはさげすみの笑いだった。 「政治の混乱と停滞に終止符を打つ」
  「再びあの混迷の時代へと逆戻りするのか」を参院選の「最大の争点」とした。

   民主党政権の失敗と比較して野党を揶揄(やゆ)しこき下ろす。身内で固まってあざ笑う。
  自分が相手より上位にあり、相手を見下し、排除する意識がにじむ。野党との党首討論で
  もその姿勢はあからさまだった。野党党首は惨めで虚しい反論しかできなかった。

   国会では野党を圧倒する議席に支えられた強固な権力基盤の中で、「嘲笑する政治」が
  6年半、まかり通ってきた。これこそが安倍政権の体質の本源である。

   翻って周りを見渡すと、「嘲笑する」事が好きな人種は世間にざらにいることに気づく。
  他人の失敗だけでなく、その人の欠点までもあぶり出して蔑み嘲笑する。他人をけなすこ
  とで自分の優位性を示したいのだろうが、あからさまな優越感ほど浅ましいことはない。

   それに気が付かないことは哀れでもある。他人をけなすことで自分の品位を落としてい
  ることに気が付かない。こうした人種は概して「彼我の比較をするのが好きな人」、「自信
  過剰な人」によく見受けられる現象のようだ。

   親類や身の回り、学生時代や社会人時代の知人、趣味の世界の友人達にも時々見受
  けられたものだ。例えば、学歴自慢、仕事自慢、能力自慢、ゴルフ自慢、釣り自慢、囲碁
  自慢などで、殊更に相手を「嘲笑」する自慢げな姿に接すると、そのたびに不快な思いを
  したものである。

   対照的に内に秘めたゆるぎない自信、謙虚な言動ほど他人の尊敬を受けるものはない。

   「嘲笑する政治」はそんな身近な人々の浅ましい優越感が政治の世界に投影されている
  に過ぎない。こんな政治家や政党を支持するかどうかは、多少場数を踏んできた人生経
  験に照らせば、結論は自明の理である。

   もっとも、安倍首相に笑われる野党にも責任がある。ただでさえ小口化したのに、いまだ
  に主導権争いと離合集散を繰り返している。民主党政権の中枢にいた一部政治家に至っ
  ては、無節操に自民党の門をたたいている。これでは野党が国民の大多数の信任を得る
  ことは難しいだろう。

   世論調査では、最近の若者の保守化が目立つという。年金や憲法など将来を懸念する
  のは老人が多く、若者は将来を楽観視していて選挙には無関心、強いて聞けば安定感を
  求めて現政権をを好むらしい。

   将来を心配するのは「老い先の短い老人」とは何かが間違っている。かってのヒットラー
  の巧みな人心掌握術や宣伝政策、日本の軍国主義への人心誘導に似て、知らず知らず
  若者が時の政府に誘導されているとすれば、憂鬱な気分にもなろうというものである。

   さはさりながら、選挙を棄権することはできない。難しい政策判断はさておき、「嘲笑する
  政治」、を信任すかどうかを判断の基軸にして、迷える一票を投じてこよう。