ミミズの戯言101、夫婦の機微。    19,03,17

  囲碁ファンならご存知、稀代の天才棋士、故藤澤秀行名誉棋聖の著書「勝負と芸」と、彼の
 妻藤澤モトさんの著書「勝負師の妻」を同時進行で読み比べたが、本音で語る2人の女房観
 と亭主観のすれ違いが実に面白かった。

  世の夫婦もおそらくそうだろうが、お互いに愛情やら尊敬やらがある反面、亭主は「俺のこ
 とをそんな目で見ていたのか」と愕然としたり、女房は「私のことを言葉ではいつもけなして
 ばかりいても、本音はそんなに優しかったのか」と、ころりと亭主に参ったり、夫婦には他人
 ではわからないすれ違いの不可思議な機微が多く、まさに人生そのものである。

  「夫婦喧嘩は犬も食わぬ」との格言は、得も言われぬそのへんの夫婦の機微を的確に表
 している。

  モト夫人によれば、「秀行はいつも私のことを「くそ婆!てめえ~なんかとっとと出ていけ!
 と怒鳴ってばかりで、手当たり次第に物を投げつけるし、酔っ払ってはやたら喧嘩ばかりして
 警察のお世話になるし、アルコール中毒になって病院の先生を困らせるし、何日も家に帰ら
 ない日が続いて挙句の果てには他所に女を囲って子供を孕ませたり、競輪場に通い詰めて
 何千万円も損をして借金まみれになったりする、ガンになって入院してもわがまま放題、つま
 り亭主としては最低の落第点だ。」とこき下ろしている。

  ならば、とうに出ていけばいいものをどうしても夫と別れられない理由は、秀行ほど純真で
 心の底から女房を頼りにしている人はいないからだという。これではいくら悪口雑言を面と向
 かって言われても離れるわけにはいかない。女心を鷲摑みにされたモト夫人の述懐である。

  そんなだらしない秀行だが、いったん囲碁となれば、朝から夜まで24時間、寝食を忘れて
 研究に没頭した。勝負の勝ち負けには拘らず、常に真理を求めてやまない。稀代の天才で
 ありながらよく「ポカ」をして負けることが多いのも、着手に妥協を許さないからで、ポカでは
 たくさんの逸話が残っている。

  大勝負の時には、アル中の体から酒を抜くため数日間病院で断酒して七転八倒して盤に
 向かい相手を圧倒している。

  「いかに勝つか」ではなく「いかに良い碁を打つか」を求め続け、「自分は勝負師ではない。
 自分の囲碁は芸道だ。」と言って憚らない。これが囲碁界の最高峰、「棋聖」を6連覇した囲
 碁の求道者秀行の面目躍如たる魅力だった。

  モト夫人は秀行との人生を振り返って、「この人のおかげで退屈しない人生だった。これか
 らも「怒鳴られて、言い返して、丁々発止と生きていく」と結んでいる。夫唱婦随、婦唱夫随の
 絶妙のカップルだった。

  一方秀行の著書「勝負と芸」によれば、秀行は酒の失敗やギャンブルで億を超える借金を
 したこと、ガンで3度の手術をしたこと、不動産業に手を出して億単位の損失をし、家を高利
 貸しにとられた事、などの失敗談を縷々述べているが、モト夫人に苦労を掛けたとは一言も
 言及していない。

  自分一人で断酒やがんの手術に耐えたような書きぶりである。しかし事実はモト夫人には
 頭が上がらず、頼りにしっぱなしで、洋服一つ一人では着れないわがまま放題で、すべての
 失敗の尻拭いはモト夫人に任せて頼りきりだった。

  それどころか、秀行は囲碁に強くなるためには日常生活が大切で、人間を磨いてこそ一
 流の碁打ちになる。人間の幅を広げ、人生観、世界観を豊かにすれば盤上の見方も広が
 ってくる。と臆面もなく語っている。そのためには酒もバクチもマイナスではない、などとすま
 した顔で勝手な理屈をつけている。

  秀行はおそらく心の中で、「カアチャンごめん、えらそうなこと書いちゃった。」とモト夫人に
 謝っているに違いない。、秀行の口に出せない「見栄っ張り」にモト夫人は笑っているだろう。

  碁を「芸の表現」とみるか、「勝負第一」とみるか、棋士の考えは様々だが、芸を高めるた
 めに寝食を忘れ、勝負を度外視して精進したのが秀行の囲碁に対する姿勢だった。明けて
 も暮れても囲碁を考え、酒も女も博打もすべて囲碁という芸道の肥やしにした秀行だった。

  照れくさくて著書には書いてはいないが、モト夫人なしでは碁打ちとしての藤澤秀行の今
 日はない、と100も承知の照れ屋でもあった。これが多くの弟子たちに私淑された人間藤澤
 秀行の魅力であり、添い遂げ続けた妻モト夫人の名伯楽ぶりだったのである。

  夫婦にはお互い一生喧嘩をしない夫婦もあれば、ののしりあいながらも芯では互いに認
 め合い助け合う夫婦もいる。藤澤秀行とモト夫人は紛れもない後者の型に属していた。