ミミズの戯言9、−店じまいー 10,03,28 何事にも潮時という時期があって、いつまでも過去に執着していい筈がない。 語源を調べたわけではないが、潮時という言葉はおそらく海水の干満が漁に影響を及ぼす ことと無関係ではあるまい。一般に上げ潮の時に魚の食いが活発になり、潮止まりには食 いはぴたりと止まるもので、これがつまり”潮時”ということだろう。釣りに限らず、何事にお いても潮時を推し量り、進退の決断をすることは大事なことである。 ところで三浦半島先端に松輪(まつわ)という優れた漁港がある。松輪の海は潮流が激 しく、ここで獲れるアジやサバは身が引き締まっていて大変美味なことから、「松輪アジ」、 「松輪サバ」と称して「関アジ」や「関サバ」と比肩されるほど市場の高値を呼ぶ隠れたブラ ンド魚である。 この松輪で昨日釣り客が海中に転落遭難するという痛ましい事故が起こった。釣り客は 救命具を装着していたのだろうか?年齢は?転落した時の状況は?全て不明だが他人事 ではない。何気なく釣りを愉しんでいる私にだって海の危険は絶えず忍び寄っていることを 忘れてはいけない。 海は穏やかな時には心が吸い込まれるような陶酔感があるが、いったん牙を剥いたらこ れ程強暴なものはない。この事故で海上保安庁は各漁船に救命具の装着を徹底したらし い。しかし救命具の装着で安心という訳ではない。やはり釣りにも潮時となる年齢制限が あると心得るべきだろう。 一昨年釣り仲間のTさんと船外機を購入して葉山の海を釣りまくっていたが、彼も私も70 歳を超え、いくら救命具を付けても寄る年波には勝てそうもない。 ヘミングウェイではあるまいし、いつまでも老人が海上を走りまくる訳には行かない。いつ 何がおきるか判らないし、万一の時に老人二人、何ほどの事が出来るか甚だ心もとない。 という訳でこの所ボートでの釣りはご無沙汰である。 また先日の台風と大波でボートが大分傷んでしまったし、だいいち係留場所の砂場から 海へのボートの出し入れもかなりの力仕事だ。そろそろボートの釣りから身を引く潮時だと 思っている。恥ずかしがらずに釣友の助けを借りながら、用心深く、乗り合い船と仕立て船 で船釣りをするのが、分を心得た老人の安全な釣りというものだろう。 そういえば、最近では陶芸からも身を引き、保有しているゴルフのメンバーコースのHゴル フ場の会員権も手放した。囲碁教室もご無沙汰だし、マイボートからも身を引くと、何やら 広がりすぎた趣味の世界から期せずして少しずつ”店じまい”をし始めたことになる。 まあ誰にでも何事につれ”潮時”があるということだろう。 しかしまだまだ人生の”潮時”ではないと思うので、こちらのほうは簡単に”店じまい”という 訳にはいかない。成すがまま、成されるがまま、正に悠々自適、淡々として人生の夕陽と 日没を愉しむ事にしよう。 |