歌舞伎見物。     16,09,27

   歌舞伎の大名跡、7代目中村芝翫を襲名する中村橋之助の女性問題が、
  巷間マスコミの格好のネタになっているが、一方では中村芝雀改め5代目
  中村雀右衛門襲名披露公演が日本各地で行われている。

   先日。横須賀芸術劇場で行われた襲名披露公演を観てきた。改装なっ
  た新歌舞伎座のこけら落としの時、立見席で見物してきて以来の歌舞伎
  見物だが、普段は馴染みがないので少し予習をして出かけた。

   我々くらいの古い人間なら知る人も多かろうが、映画「佐々木小次郎」で
  デビューした7代目大谷友右衛門という役者がいた。昭和25〜6年ごろの
  話である。その面影には僅かな記憶があるが、その後はとんと記憶がない。

   この映画俳優7代目大谷友右衛門が歌舞伎役者に転身して、大名跡の
  4代目中村雀右衛門を継承し、彼の長男が8代目大谷友右衛門、次男の
  7代目中村芝雀が今回父親の名跡を継いで、5代目中村雀右衛門を襲名
  したという訳である。

   この日の襲名披露の主な出演者は、5代目雀右衛門と2人の息子、兄
  の8代目大谷友右衛門、それに9代目松本幸四郎という顔ぶれである。

   大谷友右衛門と中村雀右衛門兄弟の母親は、7代目松本幸四郎の娘
  だから、今日共演した9代目松本幸四郎とは親戚筋にあたる。歌舞伎界
  の華麗な名門血筋が顔を揃えたことになる。

   今日の演目は、當年祝春駒(あたるとしいわうはるこま)、襲名口上、仮
  名手本忠臣蔵7段目、の3本だった。當年祝春駒は、工藤祐経と祐経を
  仇と狙う曾我五郎・十郎が初めて対面する場面を表現した華麗な舞踊で、
  最後の仮名手本忠臣蔵7段目は、祇園一力茶屋の場面だった。

   塩冶家の国家老大星由良之助と、遊女おかる、おかるの兄の寺坂平
  右衛門、塩冶家筆頭家老の斧九太夫が登場する。主君塩冶判官切腹
  の仇討を企む江戸からの密書を手に入れようとする斧九太夫、偶然、
  手鏡で密書を見てしまった遊女おかると夫の早野寛平、仇討に加わり
  たい一心のおかるの兄の足軽寺坂平右衛門が、大星由良之助を中心
  に繰り広げる名場面である。

   今回は釣り灯籠の下で由良之助が主君塩冶判官の妻の顔世御前(か
  およごぜん)の密書を読む場面からの上演だった。

   仮名手本忠臣蔵は史実の忠臣蔵を題材に、浄瑠璃や歌舞伎で演じら
  れた江戸庶民に人気が高かった出しものである。歌舞伎俳優の仕草や
  言葉には、計算し尽くされた芸が随所に表れるが、歌舞伎言葉に不慣
  れなので言葉がよく聞き取れず、意味がなかなか理解できなかった。

   しかし役者の発声に絶妙に合わせる義太夫の三味線と語りは何とも
  素晴らしく、「これぞ芸!」と息をのむ見事な伝統芸だった。

   余談だが、学生時代の寮に歌舞伎通の先輩がいて、麻雀の卓を囲み
  ながら、よく「遅かりし由良之助!」とか「その時義経、少しも騒がず」な
  どと独り言を言っていて随分勉強になった事を思い出した。

   前者は仮名手本忠臣蔵で、主君塩冶判官切腹の場に由良之助が間
  に合わなかった時の主君の言葉、後者は歌舞伎「船弁慶」で、義経に
  滅ぼされた平知盛の怨霊が義経たちに襲いかかる場面で、義経が怨
  霊を追い払った時に義太夫の語った言葉、だと後になって知り、流石
  は前橋高校出身の秀才、博学の先輩Mさんだと感心したものである。

   江戸時代に小判25両を和紙に包んで封をしたものを、包金(つつみ
  きん):俗称「切り餅」といって一般の取引に使われたようだが、この俗
  称「切り餅」もM先輩に教わった。麻雀の卓で一番値の高い万点棒を
  支払う時に、「切り餅が出て行った」と使っていた。これも後に由来を知
  った言葉だった。

   その他に現在何気なく使っている言葉で、歌舞伎に由来する言葉は
  沢山ある。気が付かないのと不勉強なだけである。歌舞伎が深く庶民
  の間に浸透していた事がよく判る。

   先日新聞に現代の若者の省略言葉がいくつか載っていたが1つも判
  らなかった。例えば、「了解」を「りょ」というだけで済ませるのが若者言
  葉だが、お判りですか?

   その代り彼等は中高年の常識的な文字や言葉を知らない。何とも
  情けない時代になったものだ。

   美しい日本語は消えてしまうのかと悲憤慷慨(こんな言葉は現代の
  若者には死語に等しい。)、慨嘆に明け暮れ、滂沱の涙の昨今である。