金沢八景周辺の名所探訪。   10,02,25

   冬の寒さも一段落して春一番が吹く季節になり、ぽかぽか陽気に誘われて金沢八景近辺の隠れた名所スポット
  を見物に出かけた。お目当ては伊藤博文金沢別邸、野口英世ゆかりの横浜検疫所細菌検査室の2ヶ所である。

  1、伊藤博文金沢別邸
   金沢八景駅からほど近くの野島公園は、50年もの昔は展望台からN社のテストコースがよく見え、ここを走る覆
  面試作車を眺めによく出かけたものだ。50年ぶりに展望台に立ってみると、樹木が格段に大きくなり当時の面影
  とはまるで違っていたが、かって一緒に眺めた知人友人のことや、様々なドラマティックな出来事を懐かしく思いだ
  した。この野島公園の傍に、ほぼ1000坪の庭を持つ伊藤博文公金沢別邸がある。明治期、富岡などの金沢近傍
  は東京近郊の海浜別荘地として注目され、松方正義や井上馨などが別邸を設けたようだが、その後大磯・葉山な
  どの湘南地方が別荘地として栄え、金沢はその役割を終えている。旧伊藤博文公金沢別邸は明治31年にこの景
  勝の地・野島に建てられた茅葺寄棟屋根の田舎風海浜別荘建築で、当時の別荘地の貴重な建築遺構として横浜
  市の指定有形文化財になっている。老朽化した家屋を2年ほどかけて復元し、昨年の10月に庭園と併せて自由に
  見学できるようになっている。素朴だが落ち着いた気品のある、いかにも明治の別荘という佇まいで、公の直筆の
  書がふんだんに飾られていた。
   伊藤博文はやたらに改名をしたことで知られており、幼名を「利助(りすけ)」と名づけられたが「としすけ」とも読
  めるので、「としすけ」の音から「俊輔」とも書かれるようになり、そうなると今度は「しゅんすけ」と読まれることにな
  り、その音から「春輔」とも表記され、こんどはそれが「しゅんぽ」と音読されたので、最終的に「春畝」を号にしたよ
  うである。討幕運動の時には俊輔、のち春輔、俊介、春太郎などと変名を使い、博文と名乗ったのは明治元年か
  ららしい。また艶福家としても有名で、あちこちの芸者を好み、40度の高熱でうなされている時でも両側に芸者ふ
  たりをはべらせたという。明治憲法の草案を練った場所がここ金沢八景の東屋という料亭で、お気に入りの芸者
  がお梅さん。後に博文の後妻になる人だから草案起草中には人に言われぬお世話を受けたことだろう。
   ご存知のように、初代内閣総理大臣に就任し後に初代韓国統監となったが、日韓併合、韓国の植民地化を図
  る元凶とみなされ、ハルピン駅構内で安重根に射殺された。この辺の事情については諸説紛々で書ききれない。
   この別荘には夏の間だけ横浜から小船を利用して立ち寄り、いつも和服姿で寛いでいたという。

  2、横浜検疫所細菌検査室
   野口英世博士が横浜と密接な関係があることはあまり知られていない。野口博士がペスト菌を発見し、それが
  恩師の北里博士に認められてアメリカ留学へと進み、以降国際的な活躍を果たすことになるわけだが、彼がペス
  ト菌を発見した場所が、ここ横浜長浜の横浜検疫所、細菌検査室という訳だ。シーサイドライン「幸浦」から徒歩
  15分の所にこの施設がある。野口博士ゆかりの研究施設としては日本に現存する唯一の施設である。
   北里博士の伝染研究所のしがない研究助手だった野口英世は、明治32年(1899年)6月20日に、ここ横浜
  海港検疫所の検疫医官補として勤務する。たまたま寄港していた米船「亜米利加丸」の船中に病人がいて、赴任
  したばかりの野口医官補は上司の指示で血液検査をして幸運にもペスト菌を発見する。これが6月21日。つまり
  赴任早々2日間で日本初のペスト患者発見・隔離という大成果を揚げたことになる。(保存会事務局長談)
   わずか5ヶ月の検疫所勤務だったが、この功績により、師である北里博士の推薦で、当時ペストが流行していた
  清国・牛荘(ニューチャン)に国際予防官の一員として派遣される。その後の活躍は割愛するが、高学歴の医官
  ぞろいの中で、尋常小学校卒でうだつの上がらない研究助手にすぎなかった英世が、とんとん拍子で出世をして
  いく躍進の第一歩がここ横浜検疫所細菌検査室ということになる。このあたりの事情は、渡辺淳一の野口英世
  伝記小説「遠き落日」に詳しく載っているとの事だったが、残念なことに私はまだ読んでいない。
   この検疫所の沿革に少し触れると、西南戦争の帰還船内にコレラが発生したことをきっかけに、明治11年コレ
  ラの蔓延防止のために、現在の横須賀市長浦(現在の米軍基地内)に設けられた「長浦消毒所」が前身で、そ
  の後、明治28年に現在の場所に移転されて「長浜検疫所」と改称されたのだそうだ。
   なんと、私が40年強も勤務していた会社のすぐ近くが野口博士ゆかりの地と深い縁があったということになる。

   老朽化して廃墟になっていたこの歴史的に貴重な細菌検査室は、ボランティア活動の成果もあって整備復元
  され平成9年から長浜・野口記念公園として開園・開館されている。