ミミズの戯言4。祝い人(ほいと)   09,09,23

   田舎で生まれ育った人なら経験のあることだが、方言にはまだ生きて使われている言葉と、
  すでに死語になった言葉とがある。田舎を離れて何十年も経つと、死語になった方言をあた
  かも現在使われているかのように無造作に使って、田舎の古い友人がきょとんとすることが
  ある。そのひとつが「ほいと」である。

   「ほいと」または「ほいど」とは「うす汚い身なりをした乞食・物乞い」の意の差別語で、しゃ
  べり言葉には使うが文字では表現しない方言と思っていた。子供のころ他人を蔑むときに
  使ったこの上品ではない蔑視語の「ほいと」は、多分今は死語になっているに違いないが、
  とうの昔に忘れてしまったこの言葉にほぼ半世紀振りに遭遇した。妙な懐かしさと驚き、そ
  してこれに当てはまる漢字が存在するなどとは夢にも思っていなかったのでこれに出会った
  驚きは、多分同じ田舎育ちの古い友人ならきっとその気持ちを共有できることであろう。

   藤澤周平の短編小説に「祝い人助八」というのがある。この「祝い人」を「ほいと」と読ませ
  ている。書き出しはこうだ。
   「祝い人(ほいと)は物乞いのことだ。しかし伊部助八がほいと助八と人に陰口を利かされ
  るようになったのは、もっぱら身なりの穢さが原因である。・・・・・」 藤澤周平は私の生まれ
  た宮城県の隣県の山形県の生まれだから、子供のころ私達と同様に「ほいと」などという差
  別語の方言を多分使っていたのだろう。だからこれを持ち出して小説の題材にも使えたの
  だろう。

   では何故「ほいと」が「祝い人」なのだろう。興味から離れられなくなって遂に図書館に行き
  広辞苑、大言海など古い辞書を片っ端から調べる羽目になってしまった。調べてみると「ほ
  いと」はしゃべり言葉どころかれっきとした歴史的に由緒ある言葉で、差別語などはとんでも
  ない誤解であることがわかった。

   大言海などによれば推定される語源は、@祝人(ホギヒト)、A陪堂(ホイトウ)のいずれか
  で、転じて「ホイト」になったらしい。神事には「祝事」(ホギゴト)、祝詞(ホギコト)、祝酒(ホギ
  サケ?)などがあり、祝詞を述べる人を「祝人」(ホギヒト又はホギト)ということから、お祝い
  を述べる人転じて相手におべっかいを言って物乞いをする人を次第に「ホギト」→「ホイト」と
  呼んだと想像できる。

   また陪堂(ホイトウ)については陪のホイは唐音で、陪堂(ホイトウ)とは禅宗で飯米を陪堂
  ということから転じて、僧堂の外で陪食(米)を乞う人を「ホイト」と云うに至ったのではないか
  という説である。そのほかの説に「乞児」「布衣徒」と書いてホイトと呼ばせるというのがある
  が少し疑わしい。

   つまり調べてみれば「ほいと」の語源が「祝い人」にせよ「陪堂」にせよ決して卑しむべき語
  源ではないことに気がつく。そして歴史は遠い時間を経て言葉の意味を変質させてしまうこと
  にも気がつく。

   私が子供のころ穢い方言として聞いた「ほいどたがり!」との罵しり声はもう聞くことはない
  が、言葉の歴史には永い永い変質の歴史があることに、しばし呆然としてため息が漏れ、
  ある種の感慨にふけったことであった。藤澤周平も多分同じように調べてこの短編を書いた
  に違いない。