葉山に住んだ明治以来の著名人の別荘調査。 13,04,01

    ほぼ1年をかけて調査を続けてきた葉山の別荘調査もようやく終了し、製本・配布までこぎつけた。
   年初からこれに携わった数名の文化財研究会の有志と一緒に調査に明け暮れした労作である。
   夏の暑いさなかの図書館通い、度重なる現地調査、疑問点解明の検討会、著名人の業績の推敲
   と校正、など調査メンバーの苦労が多かったが、反面新しい発見もあり楽しい苦労でもあった。

    調査が進むにつれ、別荘としての保有の他に、貸別荘としての利用や日常生活の場としての利
   用など多様な使い方が判明したので、資料の題名は当初予定した「明治以来の葉山の別荘」から
   「葉山に住んだ著名人と別荘」に改題することにした。
   資料は @人物情報と別荘所在地、A別荘の写真集、B地図情報、の三部作とした。(下部写真)

    なぜこの別荘調査をし始めたのか? 
    明治22年に横須賀線が開通し、明治27年に葉山御用邸が建設されたころから葉山は温暖で風
   光明媚な別荘地として脚光を浴び、そのピークは昭和10年ごろで貸別荘を合わせると約2,000戸
   余り、当時の葉山の世帯数1,800戸を上回っていたといわれている。

    しかし戦後、財産税などで別荘の維持が難しくなり、大型マンションや企業の保養所などに転売
   や切り売りされて「別荘の街」の面影は希薄になっていった。日本の政治・経済・文化に多大な影
   響を与えた明治の元勲達や大正・昭和の政・財・官・文化人達の別荘の存在は、葉山町の貴重
   な「歴史的遺産」といえるが、近年その存在を知る住民が極端に少なくなっている。その事に危惧
   を感じ、今のうちに記録に残すことが葉山町の財産になるし、我々葉山町文化財研究会の責務
   なのではなかろうかとの思いが今回の調査の動機といえる。

    資料構成は第1部「人物情報」が49ページ、第2部「写真集」が35ページ、第3部「地図情報」が
   27ページの濃密な内容になっている。人物情報には堀内地区101名、一色地区76名、上・下山
   口地区23名、長柄地区4名の総勢204名を網羅していて、過去これに類した発行資料のいずれ
   よりも内容が豊富で充実した文献になっていると自負している。やはり別荘所在地は海岸に面した
   堀内地区と一色地区に集中している。

    付表の写真集は204名全員の現在住居を撮影しているが、既に別荘自体は消滅していてその
   跡地に一般住宅が建設されているケースが多く、個人のプライバシーにかかわることが懸念され
   るので、やむを得ず資料配布は会員限定にとどめているのが残念である。完成した資料は、会
   員および葉山町町長、役場の生涯学習課、教育委員会に寄贈したが、貴重な文献として活用さ
   れて葉山町のよい財産になることであろう。

     「人物情報」の中から著名人をランダムに1,2例抜粋して紹介しよう。

     bU0 斉藤達雄  <別荘建築・昭和34年> 堀内986
    明治35年(1902)〜昭和43年(1968) 東京出身 昭和期の松竹俳優。 太平洋戦争前期にか
   けて松竹の看板スターとして多くの作品に主役・脇役として出演。長身とシニカルな笑いが売り物
   だった。貴重な脇役として小津映画には欠かせない存在であった。現在は別荘跡地に一般住宅
   (T氏邸)が建つ。

     bR9 粟野慎一郎  <別荘建築年・不明> 一色2141
    嘉永4年(1851)〜昭和12年(1937) 福岡出身 男爵のち子爵 明治・大正期の外交官。 
   初代駐仏特命全権大使 駐ロシア大使。 明石元二郎と共に日露戦争直前まで外交交渉に尽力。
   小村外相の命により対露宣戦布告文書を明治37年(1904)2月6日にロシア政府に提出し開戦に
   至る。 別荘はブリジストン湘南荘となり、現在は別荘跡地に多数の一般住宅が建つ。

    その他、総勢204名の人物情報には下記のようなキラ星のごとき著名人達が満載されている。

   北里柴三郎、井上良馨、鈴木三郎助、藤堂高廷、林薫、鮎川義介、福沢諭吉、深井英五、細川
   護立、愛知撥一、後藤新平、宮城道雄、山本権兵衛、服部金太郎、堀口大学、石坂泰三、大谷
   竹次郎、石橋正二郎、久原房之助、足立正、高橋是清、酒井忠正、斉藤実、小村寿太郎,
   三井八郎衛門、青木盛夫、浅野総一郎、金子堅太郎、井上毅、池田勇人、桂太郎、鹿島守之助、
   團琢磨、團伊能、團伊玖磨、山口蓬春、伊東深水、安田善次郎、石井光次郎、皇族その他多数。

   
       3部作の表紙。  人物情報の一部。字が小さくて読めないのが残念!