大詰めの葉山の別荘調査。    12,10,29

   秋晴れとか日本晴れとはこのような秋空をいうのだろう。空には雲一つなく富士山が
  その流麗な姿をくっきりと見せて、葉山は気温20度の快晴の秋日和だった。春先から
  始めた葉山の明治以来の著名人の別荘調査も大詰めを迎えて残すところ一色地区
  の別荘調査だけになった。

   10月29日朝9時、農協前にメンバー3人が集合して最後の調査を開始した。調査には
  事前準備が大切で、対象となる人物の経歴調査、別荘の所在地の所番地、古い地図
  と現在地図、記録するカメラが必携である。文献に載っている別荘所在地の番地は建
  設当時の番地だから、区画整理が進んで新しい建物が建っている現在の番地とはど
  うしても一致しない。そこで現地調査をしながら別荘建築当時の輪郭を推定する作業
  が多くなる。往時の別荘がそのままの姿で現存していることはめったにない。たまに昔
  の姿で残っている別荘に出会うと、鬱蒼とした木立の中に建つ洋風又は和風の瀟洒
  な建築の素晴らしさに、在りし日の明治の香りを偲ぶことが出来る。

   一色地区に住んだ著名人は数多く、秩父宮をはじめとした皇族達、桂太郎、小村寿
  太郎、金子堅太郎、粟野慎一郎などの明治の軍人・政治家たち、斉藤実、池田勇人、
  などの昭和の宰相、浅野総一郎、鹿島守之助、團琢磨などの実業家、歌舞伎役者5
  代目中村歌右衛門など多士済々である。町の文献から調査対象として選んだ一色の
  別荘数は74軒に及んだ。これをおよそ3回に分けて現地調査をすることとし、今日は
  第一回目で25軒を調査した。

   一色地区と云ってもエリアは広く大別して相模湾沿いの海岸地区と、山側に面した
  地区に別けられる。今日は山側の調査で結構アップダウンが多く、およそ3時間の調
  査は足腰にこたえて足が棒のようになるほどのきつさだった。しかし抜けるような秋空
  だから格好の運動になり、さわやかな気分で調査を終えた。

   やはり昔の姿そのままに現存している別荘は数軒のみで、あとは分譲された新興
  住宅になって跡形もなく、往時をしのばせる別荘の姿はほとんど見当たらなかった。
  しかし古い地図を頼りに、ほぼこの場所だろうと特定したり推定する謎解きは楽しい
  ものである。この調査結果は製本されて後世に残るので、我々が推定した場所がい
  つのまにか「確定場所」になりかねない。それは容易に想像されるのでいい加減な
  推定は許されない。厳密な根拠を確認しながら慎重な推断を続けていった。

   とにかく著名人の当時の別荘敷地はとてつもなく広い。とくに三井三菱の総帥の敷
  地などは優に数百坪はある。葉山の別荘数のピークは昭和8〜9年頃1000軒近くも
  あったそうだから、やはり葉山は御用邸と著名人の別荘と相模湾の景色が売り物の
  町だと思わせる。近年その別荘のほとんどが消えて、どこにでもある新興住宅が羽
  振りをきかせる街並みになったのは時代の趨勢なのであろう。

   一色の調査はあと二回を予定している。それで調査はすべて完了し、記録した資料
  の整理と製本の作業に入る予定である。