映画鑑賞、「碁盤切り」 ![]() 1か月振りのHP掲載。 毎日曜日の正午から2時間、NHK囲碁番組を何十年も欠かさず見ているが、先週の番組で囲碁 講座の担当をしている若手の柳沢6段と徐文燕女流2段が、最近の映画「碁盤切り」を話題にして トークが弾んだ。 興味深かったのは、出演した囲碁を全く知らない年配者や若手の俳優さんたちに、日本棋院 の若手のプロ棋士達が何日もかけて、懇切丁寧に碁石の摘まみ方や盤面への打ち方の所作、 碁盤に向かう姿勢や礼儀作法などを指導したという裏話があったこと。そのせいで画面に出てく る俳優たちの所作は格段に慣れた手つきでサマになっていたらしい。 次に、今を時めく井山名人と藤澤里奈女流棋聖がこの映画にゲスト出演したという話。さらに 随所に出てくる囲碁の対局場面には、当時流行した布石や定石がしばしば用いられたという話。 どの布石を選択するかはプロたちも随分悩んだという話だった。最後はこの映画は古典落語の 「柳田格之進」という人情話を基に脚本が書かれているという話。であった。 囲碁の話題が多いので興味がわき、腰痛をかばいながら2年ぶりにこの映画を見に行った。 所々不満に思う部分はあるものの、予備知識を多少持っている私には予想以上に面白かった。 正直さが災いして彦根藩を追われ食い詰め浪人になった柳田格之進を演じる草彅剛は静から 動への振り幅が素晴らしく、両替商・萬屋源兵衛を演じた國村隼も渋い持ち味を発揮し、白石 和彌監督は時代劇のメガホンをとるのは本作が初だそうだが、それを感じさせない安定した演 出ぶりだった。 古典落語の「柳田格之進」のあらすじは、故あって江戸浅草で娘とつつましく暮らす柳田格之 進が、囲碁仲間の両替商・萬屋源兵衛の家を訪れた際に、番頭徳兵衛から源兵衛に渡された 五十両という大金が紛失し、盗んだと疑われた格之進が激怒し疑いを晴らすために・・・という 物語。 映画は、落語にはない仇討ちなどの挿話を加えて幅のある物語に仕立てているが、何よりも 囲碁の好きな人には見逃せないいくつかのシーンがこの映画の魅力を引き立てている。言い換 えれば囲碁を知らない人にはその魅力に気付かずあまり興味を引かなかったかもしれない。 その点、囲碁を知らない観客への配慮が希薄なのも、物足りなく感じる一因かもしれない。 源兵衛の下で働く弥吉が格之進に囲碁を教わるエピソードをせっかく入れたのだから、あのやり 取りの中で囲碁の基本ルールをほんの少しでも示していれば、それ以降の碁盤上での勝負に対 する興味が少しは増したかもしれない。 囲碁ファンにとって絶対に見逃せない場面の1つは、好敵手の両替商・萬屋源兵衛が所有する 厚さが5寸はあろうかと思われる本榧(かや)天地柾目の秘蔵の碁盤、それに見事な蒔絵塗りの 紫檀の碁笥、加えて日向産の白石と那智黒と思われる碁石が登場したことで大変驚かされた。 これ等は今では全くの貴重品でめったにお目に掛かれない逸品ぞろいだから、小道具の係が これ等の逸品をどうやって調達してきたか苦労のほどが私にはよくわかる。 江戸時代の囲碁の碁会所が大繁盛しているシーンがたびたび登場していて、本当にこんなに 繁盛していたのかは甚だ疑わしいが、囲碁を打っている沢山の町人達の中に、多分井山、藤澤 両プロがさりげなくゲスト出演したのだろう。2人を見つけるのを楽しみにしていたのに遂にその 場面を見つけることはできなかった。ただ当時の風俗は垣間見えた。 もう一つ、囲碁ファンにとって見逃せないのが、余程のアマ高段者でも見落してしまう詰碁の 妙手「石の下」という奇手が映画の中で2度も現れた事。この「石の下」の妙手に気づいた人は アマでも余程の実力者といえるが、実戦ではほとんど気が付くことはない幻の妙手である。 まさかこの映画で現れるとは思われなかったのでこの場面の出現にアッと驚き興奮した。 この「石の下」の妙手は中国宋時代に編纂された詰碁集の「玄玄碁経」にも登場する盤上の 奇手として有名だから、出典はなんと今から1000年も昔の古人の考案による手筋である。 また盤上には度々江戸時代から流行した古典的だが普遍的な布石や定石が現れる。 どの布石や定石を映画の盤面で選ぶかは監修した若手プロ連中が随分迷ったのではなかろう か。画面に出てくる盤面をちらっと見ただけで、今でも通用する馴染みの布石が展開されていて 思わず微笑んだものである。 囲碁ファンにとってはめったに見れない囲碁道具類や俳優たちの上品な所作、囲碁の妙手や 布石や定石など、実に見ごたえがある内容で面白い映画だった。囲碁を知らない人には到底そ の深みのある魅力は発見できないことだが、片鱗でも察してもらいたい。 兎に角久し振りに興奮した時間を過ごせた。原作の古典落語「柳田格之進」は、五代目古今 亭志ん生、三代目古今亭志ん朝の得意ネタだったというから、古い落語ファンはご存知かもし れない。 因みに、題名の「碁盤切り」とは、萬屋源兵衛宅で囲碁の最中に番頭徳兵衛が主人の源兵衛 に渡した50両が紛失し、盗んだと疑いをかけられ怒った格之進が、もしも50両が見つかったら 源兵衛も徳兵衛も打ち首にするといって出奔するが、後日ようやく50両が源兵衛宅で見つかり、 疑いが晴れたので、約束通り2人の首を切る算段になった時、源兵衛は徳兵衛を庇い、徳兵衛 は源兵衛を庇う。2人の言い分を聞いた格之進は刀を抜くが、首ではなく碁盤を真っ二つに切る。 というのが最後のオチである。 如何にも古典落語らしい人情落語なので興味のある人は志ん生か志ん朝を聞く事をお勧めする。 |