映画;「母と暮らせば」  15,12,13

    山田洋二監督の話題の映画、「母と暮らせば」を封切初日の12日に観てきた。
  この映画は、終戦後の長崎を舞台に、原爆で逝った医学生の息子が亡霊となって
  母親の前に現れては、母を勇気づける山田監督初のファンタジーである。

   封切初日とあって、山田監督、主演の吉永小百合、二宮和也、黒木華の4人が
  舞台上で挨拶をする様子も同時放映された。

   物語は昭和20年8月9日午前11時02分、B29が長崎市に投下した原子爆弾
  によって、医学の講義を受けていた医学生(二宮和也)ほか900名の教師と学生
  が一瞬にして消え失せてしまうという衝撃的なシーンから始まる。学生の机に広げ
  られた白いページのノート、万年筆、インク瓶が極めて印象的だ。

   当初、小倉に投下される予定だったが、濃霧で視界不良のため急遽第2候補の
  長崎に投下された経緯も知らされる。山田監督渾身の冒頭のシーンである。

   爆撃から2年後、遺品のひとかけらもない息子の死を信じきれない母親(吉永小
  百合)の前に、息子が亡霊となって現れる。息子には将来を約束しあった恋人
  (黒木華)がいる。

   母親と息子の恋人はお互いに支え合って生きている。母親と亡霊の息子の親子
  の愛情、母親と息子の恋人とのお互いの優しいいたわりの日常生活が、淡々と
  繰り広げられる。進駐軍の闇物資や配給など戦後の食糧難も描かれている。

   息子の回想シーンで弊衣破帽で寮歌を歌うシーンが現れる。この寮歌は旧制
  山口高校だったか広島高校の寮歌だったか。素っ裸で体中墨を塗って裸踊りを
  して、その墨が水で洗ってもどうしても落ちず、火膨れになって大騒ぎするシーン
  では観客席のあちこちで含み笑いが聞こえた。

   原爆というシリアスなテーマにもかかわらず、あるいはだからこそ、ユーモアが
  随所に埋め込まれている。「寅さん」の山田監督ならではの見事な演出である。
  これぞ山田監督の真骨頂の「笑い」の世界だ。

   ある日息子がアカの嫌疑を受けたが、釈放されて親子で「ちゃんぽん」を食べ
  るシーンがある。母親はうれし涙で鼻水が丼ぶりに入ったが、そのちゃんぽんを
  息子の丼ぶりに分け与え、息子は文句を言いながらもそれを食べるシーンは
  正に親子ならではであり、観客はここでも笑いに誘われる。

   母親に諭され、死んだ息子の未練を断ち切り、息子の恋人は新しい婚約者を
  得て母親の前に現れる。母親と娘が感極まって激しく抱擁する。全編を通じて
  これが唯一の激しく感情を吐露するシーンである。

   母と息子、母と息子の恋人とのお互いの慈しみが静かな感動を呼ぶ。

   反戦・反原発がこの映画の核心なのだが、反戦思想の激しさや戦争の惨め
  さを語る言葉は一言も出てこない。淡々とした親子の語らいで終始する。、
  唯一、息子が「自分の死は運命だ。」と語ったの対して、母が、「違う、運命では
  ない。人間が計画して行った悲劇だよ。」 と語ったのが唯一の戦争批判だった。

   声高な戦争批判ではないだけに、逆に心の底に染み入る言葉の数々だった。

   長崎は教会とクリスチャンの多い町。爆心地を俯瞰できる高台の墓地で祈りを
  ささげる信者達。ここはおそらく黒崎教会だろう。ステンドグラスの綺麗な美しい
  教会だった。

   母と息子の亡霊が手を取り合って教会の堂内を歩く最後のお別れのシーンで
  は、エキストラとして教会の多くの信者達が参加している。祈りをささげる少女に
  やさしく言葉をかける母親の眼差しが実にやさしい。美しい最後のシーンだった。

   この映画は井上ひさしが広島原爆後の親子を描いた「父と暮らせば」をヒント
  にして作られた作品で、「男はつらいよ」に並ぶ山田監督畢生の傑作映画である。
  反戦を根底に秘めながらも抑揚を抑えた、悪人の一人も登場しない清々しい映
  画を久し振りに見た。


  ★ この日朝刊で、高校時代の同級生で作家の内海隆一郎君逝去の報に接した。
  直木賞候補となった作品が多く、「ひとびとシリーズ」では柔らかなタッチの短編が
  人気を集めた。彼の著書を10冊強持っているが、いずれの作品も、ほのぼのと
  した市井の暮らしぶりを描いていて、優しさが伝わってくる好著が多い。

   朝日新聞日曜欄には2002年から数年にわたり「朝の音」という随筆を連載した。
  高校時代には柔道部に所属していたが、物静かで寡黙な人物だった。同級会に
  もよく出席していたが、最近の音信は聞こえてこなかった。謹んでご冥福を祈る。

   櫛の歯が欠ける様に、昔の仲間が1人また1人と旅立っていく。これも人の世
  の常。せいぜい残り少ない余生を悔いの残らぬように過ごしたいものだ。