最後の趣味は陳腐だが読書か?。 24,03,16

   1昨年以来HPの上梓が 激減している。それは尤もなことで、かっては月2~3度は何が
  しかの話題を提供していたが、今では月1もUPしていない。

   言い訳をすれば、昨年暮れに2度目の圧迫骨折 (2年前は第4腰椎圧迫骨折で、今回
  は第5腰椎)に見舞われ、腰痛のためほとんど外出できず話題に事欠く有様で、おまけに
  話題を拾い集める気力が湧かないから当然といえば当然である。

   かっては多趣味を自他ともに認めていたが、今はその面影もない。ゴルフもボートも
  辞めたし、釣りも囲碁も旅行もご無沙汰である。当時の友人達とも疎遠になりつつある。

   最近はもっぱらTV,とPC三昧で、飽きると読みかけの本読みで時間つぶしをしている。

  政治向きの話題はつまらないし呆れているので話題にしたくもない。TVで相撲観戦が楽
  しいし、間もなく始まるプロ野球開幕のTV観戦も楽しみである。野球も国際的になり、
  日本、アメリカとチャンネル選択で忙しくなる。暖かくなってきたので散歩にでも行きた
  いが腰痛がそれを妨げている。つまり家の中でやることもなくぶらぶらして、時折本の
  拾い読みをするぐらいが私の日常になっている。

   あまり話題がないので、暮れから最近まで読んだ本の紹介でもしよう。
  正月から読んだのは将棋と囲碁にまつわる小説である。

   まず将棋の本で、柚木裕子作 「盤上の向日葵、上下巻」。
  著者は岩手県生まれの女流作家で本作で2018年本屋大賞2位を獲得した。
  初代菊水月作の幻の将棋駒の名品をめぐる将棋指しの物語である。ひりひりする勝負の
  場面描写が迫真的である。元名人の羽生善治氏が解説文を書いているので将棋ファン
  必見の書である。

   次に囲碁の本で、百田尚樹の「幻庵、上中下巻」 
  幕末、本因坊家跡目相続をめぐる天才たちの死闘を描いた百田尚樹の力作。


   服部立徹、後の幻庵と本因坊家の丈和や安井家の知達らの、しのぎを削る争いは盤上
  だけでなく家元同士の陰湿な盤外の争いも描かれている。お城碁の裏話など囲碁の歴史
  を知るには格好の著書。元名人・本因坊の趙治勲の明快な解説も見逃せない。

   私は百田尚樹はあまり好きではないがこの著作は力作である。

   思い返せば幼少のころから勝負事が好きで、小学生のころ、将棋や囲碁に興味があり、
  近所のおじさんたちと勝負に興じた。将棋では大山康晴よりも升田幸三、囲碁では呉清
  源のファンだった。野球も好きで、新聞やラジオで巨人を応援し帰校後ラジオにかじりつ
  きスコアブックを熱心につける野球少年で、大相撲の栃錦のファンでラジオ放送にも熱
  中した。

   中学のころには町の囲碁クラブに通い、かなり上達した。町の小学校の校庭に当時の
  宮城県岩手県の旧制中学の野球大会が毎年開かれ、一関中学(現一関一高)の応援
  歌にあこがれ、後に同校に入学し憧れの応援歌を歌った。

   草野球のプレーもバスケットも好きなスポーツ少年だったがこれは大成しなかった。

   およそ絵画や音楽、写真などの高尚な趣味には疎く、野暮でもっぱら勝負事の好きな
  少年だったので、生涯、趣味としての囲碁から離れられなかった。

   歴史小説と囲碁の本が好きで、読売新聞社が企画した呉清源と藤澤朋斎の打ち込
  み十番碁に熱中し、譜面を並べたり、著書を読み漁ったのは高校生のころである。
  大学生のころからは藤澤秀行の豪快且つ繊細な囲碁に魅せられた。

   もうすぐ87歳になるが、人生の最後は囲碁の本でも抱きながら、囲碁の布石でも夢の
  中で描きながら大往生を迎えたいものである。

   稀代の勝負師・世紀の天才棋士・呉清源の自伝書「以文回友」にはこう書かれている。
  「囲碁は2人で創造する芸術であると同時に、紛れもなく勝つための戦いであり、勝負の
  世界である。勝負は常に勝つことを要求されるし、とにかく勝たねば価値は認められない
  のである。」

   もう闘志を沸かす懐かしい好敵手たちとも疎遠になっているので、呉清源の心境には
  到底及ぶべくもないが、さすがは老いてなお激しい勝負師の言葉だと舌を巻く。
  
   落語の「笠碁」ではないが、せめてヘボ碁の仲間と減らず口でも叩きながら気楽な碁で
  も打とうかという心境である。

   尚、今読みかけの本は、松井今朝子の「愚者の階梯」 歌舞伎座で発生した怪死事件
  のミステリー。「壺中の回廊」「芙蓉の干城」に続く3部作。