講演会ー日本の近代化と日露戦争。ー 11,02,24 肩の凝るような話が続くがご勘弁願ってお読みいただく。 このところ私の周辺には日清・日露戦争にまつわる話題に事欠かない。100年以上も昔のことを何を いまさらと思われようが、次々に話題になるのは最近の国際情勢と日本のおかれた立場が当時となに がしかの共通性を持っているからなのであろうか。最近トルストイの日露戦争に関する著書が出版され たらしい。原語版(ロシア語)はあるがまだ邦語訳は準備中とのことだ。いまなぜトルストイなのか判ら ないがロシアでも日露戦争が見直されているのは、北方領土の帰属問題を当時の原点に帰って見直 そうとしているのかもしれない。 2月24日、文化財研究会のイベントで早稲田大学名誉教授の中村尚 英氏をお招きして「日本の近代化と日露戦争。」と題する講演会が開かれた。氏は日本の近代史がご 専門で、現在86歳のご高齢だが、矍鑠として現在も鎌倉市民アカデミアなどでご活躍なさっておられる。 当日の講演レジメは次の通りだった。 T、はじめにー「日本の近代化」とは (1)幕末のペリー来航から徳川幕府崩壊まで (2)明治維新から近代国家の建設へ (3)日清戦争・日露戦争を経て大国へ U、日露戦争 (1)日清戦争後のアジア情勢 (2)欧米諸国との連携ー桂首相、小村外相、金子、末松らー (3)日露開戦とその戦況ー旅順、奉天、日本海海戦などー V、日露戦争後の国際情勢 私は今、日露戦争を題材にした小説を読み続けている。司馬遼太郎の「坂の上の雲」は何度も読んで いてそれなりの知識があると自負しているが、最近ではポーツマス条約締結を巡る小村寿太郎とウィッ テ両外相の外交交渉を扱った吉村昭の「ポーツマスの旗」や、日本海海戦を東郷平八郎や秋山真之な どの日本海軍側から描いた司馬遼太郎と対照的に、ロジェストウェンスキー中将を艦長とするロシア第 2太平洋艦隊の大遠征と玉砕に至る過程をロシア側から詳細に描いた同じく吉村昭の「海の史劇」など を読んでいる。さらに明石大二郎、金子堅太郎、高橋是清などについての著書が目白押しに控えている。 興味本位の戦争のドラマ的事実はさておき、何故この戦争は起きたか、帝国主義的侵略の蔓延る国 際情勢と戦争の必然性、戦争遂行のプロパガンダと秘匿、戦後処理、講和批判と騒擾事件、東京朝日 の15日間発刊停止に代表される桂内閣批判と言論弾圧、などに強い興味をそそられている。メディア 特に新聞が軍部の意向に従い世論形成の役割を担い、その記事に熱狂した世論に各新聞が逆に煽 られてさらなる迎合記事を書く、という戦時の異常な世論操作の愚かさも忘れるわけにはいかない。 歴史は滔滔たる必然の流れといわれる。歴史は人が作るが歴史に流されるのも人である。歴史に名 をとどめた人間、名もとどめず歴史に流され埋もれていった多くの人々がいる。日露戦争の勝利が軍部 の驕慢を生み、その驕慢と知識人のプロパガンダが必然的に第2次世界大戦に結びつき、その敗戦が 皮肉にも今日の民主国家・経済大国の日本を生み、又その陰に沖縄はじめ多くの悲劇を内蔵するに至 る大いなる歴史の流れの皮肉さにも興味をそそられる。その流れの節々にあるエポックメーキングな出 来事に注目すると、それが今日的課題と大変共通するという問題意識に到達する。(より具体的にいえ ば、最近、弱肉強食の帝国主義的領土侵略の萌芽が周辺諸国に見られるが、かっての満州・朝鮮・南 洋諸島の覇権を巡って争った諸外国との軋轢・衝突と同じ重要な分岐点に立っている予感がしている。 所詮は人間、同じ過ちの歴史を繰り返すのだろうか。) 氏の講演は葉山に縁のある多数の明治の別荘族(中村教授の表現)がこの戦争で活躍したと簡単に 触れられた。桂首相、小村外相、金子堅太郎、などが葉山の別荘から頻繁に東京に出向いて事に当た ったとやや皮肉を込めて語っておられた。教授をお招きした幹事には拍子抜けの講演だったことだろう。 もっと派手に彼らの業績を語ってもらうのが教授をお招きした文化財研究会の趣旨だったであろうから・・・。 講演のレジメは大変興味のあるものだったが、講演内容は少々平板に過ぎ、期待したものとは少々 隔たりがあった。聴衆者のレベルを意識されたのか、ご高齢で失念されたのか、いずれにせよ私の承 知しているレベル以上のものではなかった。特に講演の最後の、「V、日露戦後の国際情勢。」につい ては私の最も期待したところだったので、時間切れで割愛されたのが大変惜しまれた。 興味を引いたのが日露戦争の戦費調達の話だった。日露戦争では増税;2億円、内債発行;5,7億 円、外債発行;12億円、合計20億円が調達されている。10年前の日清戦争(2,4億円)のほぼ10倍, 当時の国家予算(5億円)の4倍の戦費ということになり、戦後の深刻な財政負担となった。高橋是清 が首相・蔵相に数度も就任し、緊縮財政策を遂行して軍部と対立し、遂に2,26事件の犠牲になった のはご存知の通り。財政難の状況は現在の状況に酷似している。 20億円の戦費は現在価値で言えば当時のコメ価格との比較で、1円が現在の1万円、つまり戦費 調達は現在価値で20兆円という膨大な戦費になる。ポーツマス条約締結にあたって国民が最も切望 した賠償金の要求を結局断念することになるが、政府の腹案では15〜20億円だったといわれてい る。つまり当然かもしれないが、調達した戦費(20億)=幻の賠償要求額(20億)だった訳で、この図 式は私としては始めて気がついた事であった。余談だが、晩年小村寿太郎が住んだ葉山一色の庇の かしいだ借家の家賃は年300円(今のカネで300万円程)だったと吉村昭は書いている。 私と同じような興味を持っている学生時代の友人を誘ってこの講演を聞き、小村寿太郎の別荘跡 と山口蓬春画伯の記念館を案内し、庭の見事な梅の花を観賞した後、行きつけの蕎麦屋で舌鼓をう って解散した。 |