ボランティアガイド、 ![]() 神奈川県ボランティア協会という団体がある。神奈川県の主要な市町村の ボランティア団体が加盟していて、わが葉山文化財研究会もその団体に加盟 している。 加盟団体の各市町の交流も盛んで、お互いに訪問し合って交流を深め、そ の地の歴史文化を学んでいる。今年は葉山町が訪問ガイド地の対象に指名 されたので、わが文化財研究会は受け入れ準備に大わらわだった。 研修訪問に訪れるボランティア団体の方たちは皆さん相当の知識をお持ち の方ばかりなので、ボランティアガイドを務めるには歴史や地理、文化財につ いて相当の知識を深めておく事は勿論だが、訪問客の皆さんに対する接遇に も気を付けなければならない。ガイド時の交通安全やトイレ案内など細々した 細心の気遣いも考えておく必要がある。 県内の遠くから見えた沢山の客に対して、決められた時間内で案内する為 あらかじめコースを決め、本番並みのリハーサルも必要になる。参加者を10 人くらいをひと組にしてそれぞれ案内者を決めておくので、指名された案内者 は結構プレッシャーを感じている。 1月26日、この日は気温10度で無風快晴、富士山や江の島、箱根連峰から 丹沢、伊豆の山々もよく見え、相模湾は絶好のカメラロケーションとなっていて 訪問客はことのほか喜んでくれた。 今日の訪問客は、横浜、大磯、鎌倉、藤沢、横須賀、の5団体51名の参加だ った。朝8時半にJR逗子駅と京急新逗子駅にそれぞれ迎えの旗を立てて迎え に出て、所定のバスに乗せて出発点の鐙摺漁港に集合した。 参加者を10人ずつ5グループに分け、予め決めておいた5人の案内者をつけ て案内を始めた。案内者の中には不慣れな人もいるので、私は各グループを それとなく観察して廻り、案内説明が不備なところを補足説明する後方支援役 を引き受けた。 コースは、@鐙摺→日陰茶屋→海宝寺→葉山マリーナ→清浄寺→七桶の 碑→相福寺→堀口大学邸→森戸神社で、ちょうど3時間のコースとした。 葉山と云えば、お目当ては御用邸であり、大正天皇が崩御した場所を公園 にした広大な敷地のしおさい公園、宮家の諸別荘、その近くにある近代美術 館と山口蓬春美術館、小村寿太郎や桂太郎、高橋是清、後藤新平、井上毅、 金子堅太郎、山本権兵衛、斉藤実、など錚々たる明治から昭和にかけての 政治家や財界人の別荘が必見のスポットだが、時間がないので割愛した。 楽しみにしていた希望者が結構いて残念がっていた。 皆さん熱心に説明を聞き、鋭い質問をして案内ガイドをタジタジとさせた。 歴史に興味のある人、寺社、建造物、仏像に興味のある人、彫刻に興味の ある人、木や草花に興味のある人、中にはごみの収集方法に興味のある人 などさまざまで、我々ガイドの方が教えられることも多かった。流石は皆さん 歴戦のガイド経験者だと感心した。 仲間が日陰茶屋の前で説明をしていた時 「日陰茶屋事件」に興味のある 人がいて、熱心に質問するので、仲間のガイドがタジタジとなり、後ろで見て いた私に助けを求めてきた。 大正5年、東京日日の記者神近市子が、葉山の「日陰茶屋」の2階にいた 無政府主義者大杉栄と雑誌「青鞜」の編集者伊藤野枝の姿に逆上して刃傷 に及んだ事件を「日陰茶屋事件」というのだが、事件の顛末や背景、大杉 栄と伊藤野枝、後の衆議院議員で売春防止法の議員立法の立役者となる 神近市子の事を説明し、関東大震災のどさくさに紛れて憲兵大尉甘粕正彦 が大杉栄と伊藤野枝を惨殺した事や、事件後の甘粕の服役と渡満後の謎 の自殺の事なども、質問に答えて説明してようやく納得してくれた。 海岸で獲れたてのワカメを煮沸して干している漁師に声をかけ、仕事ぶり を珍しげに熱心に眺め、格安で分けてもらって土産にした人もいた。 9時から12時まで3時間の案内が終わり、来訪してくれた各ボランティア団体 の51名の皆さんからお礼の言葉を頂き解散した。我々案内人12名が終了後 にご苦労さん会を中華料理屋の「海狼」で開き、反省会らしく色々と気が付い た反省事項を述べ合った。 案内役を初めて務めた会員も、これで経験を積んだので立派なガイドさん に成長するだろう。最年長の私は時々参加して彼らの働きぶりを後ろから サポートすることになるだろう。 凡そ3時間、最後まで付き合ったので、足が棒のようになり疲れ切ってしま った。帰宅して入浴したら足のコムラが吊ってしまって大騒ぎになった。無理 がきかなくなってしまった。そろそろ文化財研究会も退会近しかも知れない。 <堀口大学邸の説明を聞く参加者たちの様子です。> |