2018年、今年の重大ニュース(家族編) ![]() 日本の成年男子の平均寿命は81歳らしいが、とうとう私も81歳の坂を超えてしまった。 10歳の孫には”ワタシが20歳になるまで生きていてね”と囁かれているが、果たして90歳 を超えられるかどうかは疑問である。ともあれ、家族全員今年も健康で過ごせたことが 一番の重大ニュースである。正月には家族全員9人が集まって、若者たちの近況を聞き、 新年を祝うのが楽しみである。 1、健康は小康状態。 糖尿と心臓という2大疾患を抱えていて多少の体調不良はあったが、何とか健康を維 持している。HBA1cが8,0と急上昇して以来、一切アルコールを断っている。酒の席は すべて欠席を決め込んでいて、友人たちには”付き合いの悪い友達だ”と影口を言われ ているらしい。 親しい友人たちとの恒例の忘年会や新年会も勿論欠席である。先頃山形旅行の時、 旅館の夕食時に一合の日本酒を家内と半分ずつ飲んだのが唯一の例外だった。最近 はそれほど飲みたいとも思わなくなっている。習慣とは恐ろしいものである。 近くのスポーツジムで時々やっている30分のウォーキングと断酒が効いたのか、よう やく血糖値は危険水域を脱して8,0を下回りほっとしている。時々心臓が苦しくなり、常 備しているニトロを飲んで恢復するが、この不発爆弾が不気味といえば不気味である。 相変わらず歯医者、眼科、内科、皮膚科と医者通いが続いているが,長年糖尿の診 察をしてくれたHクリニックのH先生が11月に急逝したので来年から病院を変えることに している。 2、60年ぶりの再会。 今年の何よりの朗報は、亡母の従姉妹と62年ぶりに再会した事である。私の浪人時 代に東京の駒場に住んでいた新婚の若夫婦宅に転がり込み、しばらくお世話になって 以来の再会だった。その後の不義理をわびたが屈託なく再会を喜んでくれた。春には 武蔵小金井のレストランでの会食に誘われ、秋には亡母の墓参と鎌倉・葉山散策で来 宅し、11月には亡母の23回忌に出席してくれた。長年不義理をした胸のつかえがおり た心地がした。生きていると素晴らしい出来事に巡り合えると実感した。 3、訃報が続く。 落胆する訃報が続いた。6月に囲碁の師匠で人生の師ともいうべき家内の伯父のK 翁が96歳で大往生した。亡くなる直前私の手をしっかりと握りしめ、かすれた声で”あり がとう”と言った姿が忘れられない。 また、同業C社に同期入社したK氏の訃報が奥様から飛び込んできた。彼とは肝胆 相照らす仲で、公私共々56年も深く付き合ってきた盟友で、Tグループの隆盛と不況・ 再生を共に経験してきた戦友だった。私の葬式には必ず弔辞を読むと誓っていた友が また一人この世を去った。 他にも私の主治医HクリニックのH先生、ゴルフ仲間のAさんなど、今年も多くの訃報 が届いた。人生100年時代というが、そんなに長生きしたいとは思わないが、腹の底か ら笑いあえる友人との別れは辛い。今いる友人たちとの一日一日の付き合いを大切 に、悔いなく過ごしたいと思う。 4、今年の小旅行。 今年も花見や紅葉狩り、などの小旅行を楽しんだ。まだ元気なうちにあちこち旅をし て、家内との思い出作りをするのが、これまで家庭を顧みなかった私の罪滅ぼしという ものだろう。しかし車での長距離旅行はそろそろおしまいにするつもりである。 ①富士五湖巡り、②西伊豆周遊、③蔵王~山形紅葉狩り、④観音崎ホテルバイキ ング、➄大磯の元老達の別邸見学。などなど 5、今年も釣りを楽しみました。 今年は2月のイワシメバルから始め2,3キロの石鯛など印象に残る釣りもあったが、 総じてマンネリ化した釣りが多かった。アジ、タチウオ、メバル、タイ、ヒラメ、イサキ、 カワハギ特にアジとタチウオが多かった。釣りの回数は29回。昨年は26回だから、概 ね月2回強というところ。仲間に支えられて乗下船することが多くなり、船釣りがきつく なってきた。足手まといになってそろそろ引退間近かと囁かれ始めた。 6、囲碁もそれなりに。 互先で激闘を繰り返した師匠の96翁が6月に逝去され、手ごたえのある好敵手が いなくなった。局後の心地よい爽やかな余韻、お互いを称えあう局後の感想、疲れを 癒す熱燗1合、みな懐かしい思い出である。翁の遺品の立派な碁盤を頂いたので思 い出に浸っている。 新横浜での旧友たちとの「天狗会」、釣り仲間のS氏との指導碁だけが今の囲碁仲 間になってしまった。日曜日のNHKの囲碁トーナメントの鑑賞が毎週の楽しみである。 逗子市の市民囲碁大会で優勝したのが今年の思い出に残る程度。 どうやら私の最後まで残る趣味は囲碁と読書になるようだ。 7、ゴルフもそろそろ? ゴルフの成績は年々悪化の傾向にある。回数は19回で昨年より4回減りAVは昨年 の105から108に悪化。平成23年の98,3を最後にAVは100を切れなくなってしまった。 100を切るのは数えるほどで今年は2回のみ。メンバーコースの箱根には年4回のみ。 大半は新しいゴルフ仲間と伊豆スカに行くようになった。 ラウンドするのが年々きつくなり先日の箱根では18ホールを歩くのがやっとだった。 ほぼ50年近く全国を回ってラウンドしてきたゴルフともサヨナラする時期が迫っている 予感がする。 8、読書は乱読を卒業しました。 昔は多読だったが、今は読む本の数は極端に減っている。すぐに目が疲れてペー ジを伏せてしまう。30分が限界のようだ。 フランスでは愛読書のことを「リーブル・ド・シュヴェ(枕頭の書)」というらしいが、書 斎兼寝室で寝る前のひととき、ふとんにもぐりこんで寝入るまでのひととき、読みたい 本のページをめくる時間は私にとって至福のひと時であり、貴重な30分である。 相変わらず3年越しに読んでいる大佛次郎の「天皇の世紀」はようやく7巻目に入り、 長州・芸州と幕府の内戦、家茂の死、の局面を迎えている。戊辰戦争まではまだ先の 話で、古文書のような難解な文章の羅列なので遅々として進まない。 他に印象に残った書物は、新潮新書「決定版・日中戦争」と中公新書「陸奥宗光」だろ う。 日中戦争は私の生まれた3日前の1937年7月7日(私の生まれは7月10日)の盧溝橋 事件に端を発しているので昔からの関心事であった。北支事変、支那事変と呼称した 局地戦争だったが、次第に全面戦争に拡大して日中戦争と呼ぶのが今では定着して いる。発端となった発砲事件については満州軍の陰謀説が有力だが謎のままである。 本書は参考になることの多い好著である。 陸奥宗光は伊藤博文内閣の外務大臣として、条約改正や日清戦争で手腕を発揮し た敏腕外交官である。先頃大磯町を訪れ、明治の元老達の別邸を見学する機会を得 たが、陸奥宗光宅には陸奥の回顧録「蹇蹇録」を記述した部屋があった。 日清戦争の講和条約(「下関条約」)は陸奥と清国の外相、李鴻章によって締結され、 交渉によって割譲を得た遼東半島は後に三国干渉によって返還することになる。これ ら一連の外交交渉の顛末が蹇蹇録に書かれている。本書は、世界の植民地主義と 日清戦争、とりわけ朝鮮、清国、ロシアと我が国の帝国主義、を理解するうえでの好著 である。 9、亡母の23回忌法要をしました。 13回忌の法要で兄弟と孫が集まって以来、10年ぶりに23回忌法要をした。次の33回 忌はもう私は91歳、生きていたとしてもとても法要を差配する気力はない。これが最後 の法要となる。兄弟夫妻と亡母の従姉妹、私の竹馬の友の9人が寺に集まり、法要後、 鎌倉の華正樓で偲ぶ会を開いて歓談した。 10、葉山町文化財研究会退会。 2007年に当時の研究会の会長さんに誘われ入会してから早くも11年がたった。 当時は葉山の山々から海岸線までに点在する文化遺産を訪ねて歩き回るのが面白く、 健康を兼ねて家内と一緒に仲間に入っていたが、最近とみに足腰が弱り、好奇心も次 第に薄れてきたので退会を決意した。仲間の皆さんには随分慰留されたがやむを得 なかった。 在任期間中印象に残っているのは、明治時代からの政官財界人の別荘を調べまく り、調査をまとめて「葉山の別荘」資料編と写真編としてみんなで完成したことである。 11、その他 ・孫のピアノ発表会、・学友との旧交を温める会、・HPのプロバイダー変更などなど |