2014年今年の重大ニュース(家族編) 14,12,15 今年の3年日記の書き出しを紐解くと・・・届いた年賀状の中で印象に残った高校時代の 恩師の言葉が書き留めてある。過去3年間の賀状に一筆書き添えられている言葉を拾うと、 ・1昨年は ”life is between attachment and detachment.” ・昨年は ”乱世・卒ナショナリズムの先に平和を望む。” ・今年は ”人類はどこに向かうのか、カオスに一石を投ぜよ。” いずれも今年83歳になる老英語教師の熱烈な憂国の情が感じられて心に沁みる。 怠惰な人生を送る私に対する愛情と叱正と受け止め心を引き締めて晩節を全うしたい。 今年の最も心が痛んだ出来事は、私の心の師であり人生を支えてくれた二人の恩人の ご逝去だった。1人は元朝日新聞社論説主幹のA先生、もう一人は田舎のY従兄である。 年の暮れになると「年賀欠礼」の葉書が送られてくるが、ここ数年は友誼を頂いたご本人 の逝去を知らせる通知がめっきり多くなって驚かされる。 一方、末娘の結婚という嬉しい慶事もあった。身内が増え、みんなが健康なのは何より の朗報である。私事だが、持病の糖尿病も心臓病も特に異常がなく来年早々には2日間 入院して確認のための心臓カテーテル検査をする。血糖値が一時かなり高くなって医者 から警告されたが、一念発起して7月以降毎朝9000歩の散歩を欠かさず続けたお蔭で急 速に改善した。趣味の釣りも囲碁もゴルフもそれなりに楽しみ、家内との旅行も例年より 大型の旅を楽しんだ。 晩秋から初冬になると、紅葉した落葉樹が落葉を落としていく。落葉を見ていると今まで は感じなかった事だが人生の黄昏とラップして見えて感傷的になる。やはり歳なのだろう。 老恩師からは忌中年賀欠礼の葉書が来て、楽しみにしていた寸言が今年は見られない のが残念だが、師の意を体して高齢になっても志を高くそしてさらに謙虚に、「ちょっと学ん でうんと遊ぶ」という人生の極意を実践したいと思う。 誰の言葉だったか、「自分がいつも正しいと思っている人は、成長をやめたと云っている のと同じです。」という言葉が記憶に残っている。何故かふと思い出した。 1、家族の健康。 末娘が誕生日の11月26日に入籍して新しい身内が増えた。7月に子供や孫達が私の 喜寿祝いとして帝国ホテルの昼食会に招待してくれ、新しい身内を含めた9人が勢ぞろい して彼のお披露目もした。 健康が第一。今年は血糖値と心臓が安定した以外に、1週間入院して白内障の手術をし て緑内障の危険も除去できた。 傘寿まであと3年、東京オリンピックまであと6年、これからの1年は今までの3年にも5年 にも相当するが、何とか健康体でいたいものだ。 孫2人の成長には目を見張る。長女は今2年生。思い起こせば私が小学2年生の時、病 床の父の飲み薬(小さなガラスの小瓶に液体の薬が入っていた)を毎日下校時に学校近 くのO病院で受け取り帰宅したものだが、ある日誤ってガラス瓶を路上に落として割ってし まい、悲しさと情けなさで帰宅できずに家の近くの小川(堰)で泣いていた時、帰宅が遅い ので探しに来た母親に見つかり連れ戻された事が忘れられない。叱られると思っていたら 優しかったのでまた泣き出した記憶がある。今の孫娘と同じ小学2年生の真冬だった。 孫があの時と同じ年齢と思うと感無量になる。 2番目の孫は幼稚園の年長組。これも思い出話だが、幼馴染のMちゃんと幼稚園に通 っていた時、おやつの肝油がおいしくて2人でこっそりと幼稚園に忍び込み肝油を探して 食べ過ぎて園長先生に見つかりひどく叱られたのが今の次女と同じ6歳の時だった。 孫2人も今経験していることを将来懐かしく思い出すことだろう。1週間に一度我が家に 遊びに来て、今盛んに百人一首と囲碁に興じている。 2、釣り。 今年の快挙は何と言っても14,5キロのキメジマグロを釣り上げた事だ。マグロを釣る のは多分人生で最後と思う。宝くじかホールインワンのようなものだ。他にはアジをはじ めメバル、キス、カサゴ、真鯛、マルイカ、太刀魚、アマダイ。数えたら1年で21回の釣り だったが、今年は特に太刀魚に嵌った1年だった。 3、旅行。 今年は例年になく遠出の旅を楽しんだ。まずは2月のタイ旅行。私にとっては8年振り だが家内は初めてのタイ。例によって外国の食事が口に合わないので閉口したが、家 内には合うらしく美味しい美味しいを連発して旅情を楽しんだようだ。 5月には4年ぶりの坂東33か所巡り。茨城、栃木、群馬の9つの寺を回り、いよいよ 残りは埼玉周辺の4寺だけになった。2003年に廻り始めて以来11年になるがようや くゴールが見えてきた。来年春には桜見物を兼ねて目出度く完結となるだろう。 8月には従兄の法要で宮城県に出掛けたついでに気仙沼の従兄の案内で三陸大津 波の爪痕を車で廻った。父と母のそれぞれの先祖の墓参りも済ませ、後顧の憂いを払 拭できた。 11月には岐阜〜富山と廻り、高山、黒部の紅葉見物をしてきた。念願の黒四ダムに は訪れていないのが心残りだが、紅葉の見事さは京都に匹敵する素晴らしさだった。 4、囲碁。 今年も実戦は極端に少なかった。逗子の92翁との定期戦もなかなか都合が合わず 今年は4回だけで1勝2敗1ジゴの成績。他に平塚1000面打ちに参加して小島高穂 9段に中押し負けだった。実戦は少ないがテレビや新聞の囲碁観戦、ネットでの見知ら ぬ相手との対局はかなりの回数に及んだ。 しかし碁盤を挟んで対局するのが本来の囲碁の醍醐味だから、横浜の宇宙棋院に でも久し振りに通って実戦の機会をもっと増やしたいものだ。 昭和の囲碁界の巨星呉清源9段が100歳の天寿を全うされたが、亡くなる直前まで 碁盤に向かい新手の研究に没頭したそうである。そこまでは無理だがあれこれ囲碁の 布石や詰碁やらを思い浮かべながら思考の世界に浸るのが楽しみである。 願わくば 囲碁を打ちつつ 千の風 5、ゴルフ。 12月10日にゴルフ仲間と伊豆スカイラインGCでプレーをして今年を締めくくった。 今年の回数は10回でアベレージは恥ずかしながらちょうど100.いわゆる完全な月1 ゴルファー、アベレージゴルファーである。足腰のあちこちが痛んで思うようなスイング ができず、飛距離は極端に落ち、ミドルアイアンはとうの昔にお蔵入りになっている。 ラウンド中のミスショットにも喜怒哀楽はなく淡々と廻るだけの枯れたゴルフである。 かっては年70回もラウンドしたものだが、遂に釣り回数の半分になってしまった。 6、葉山サロン 6月に幼馴染のMちゃんと弟夫婦と妹が我が家に集まり恒例の葉山サロンを開いた。 今年の酒盛りのメーンディッシュはカサゴ料理各種。早朝から金沢八景の釣り宿に 男3人で繰り出し釣ったカサゴは60匹。煮付け、唐揚げ、刺身、カルパッチョ、粗汁と カサゴのオンパレードとなった。例によって濃密な世界と日本の歴史談義に花を咲か せ、来年は田舎の餅料理尽くしでサロンを盛り上げようと衆議一決した。 搗きたての餅を食べたいので早速餅つき機を買い、東銀座の「いわて銀河プラザ」 で岩手県の餅料理の具材を買って来た。さしずめ「一関の餅御膳」を真似て正月には 餅料理の小手調べをする予定である。 7、葉山文化財研究会行事参加。 昨年葉山に住む明治以来の著名人の別荘調査を終え、3部作の冊子を編集刊行 して以来、文化財の毎月の活動にはご無沙汰が多い。 ・伊豆真鶴の頼朝の遺跡探訪。 頼朝と葉山は何かと縁が深いが、頼朝が旗揚げした治承4年、石橋山の戦いで 大場景親・伊東祐親軍に敗れ九死に一生を得て安房へ脱出した船出の地が真鶴 半島の「岩海岸」。5月に文化財の企画でこの岩海岸と周辺遺跡を探訪に1泊で 研修旅行をした。真鶴のひなびた漁師食堂で朝の獲れたてのメバルとカサゴの煮 付け定食が安くて抜群にうまかった。 ・台北故宮博物院展。 9月、メンバー有志で上野の東京国立博物館に行き特別展「台北故宮博物院展」 を見物した。中国悠久の文化遺産を見て中国文化の奥深さに感嘆した。 ・その他の活動。 葉山に埋もれた文化遺産の調査やボランティアガイドは1日3〜5時間も連続して 歩くので、さすがに体調を考えて、参加者に迷惑をかけないよう参加を控えている。 8、読書。 4月に白内障の手術をしたが、術前と比べて視力が回復したようには思えない。 見違えるように見えるようになったという人が多いが私は特別なのだろうか。心なし か以前よりも霞んで見えるような気がする。その為、就眠前の読書の楽しみは目が 疲れて思うように進まない。読破した書籍も今年は驚くほど少ない。老化現象なのか 人知れず寂しい思いがする。読みかけの大作、大仏次郎の「天皇の世紀」が遅々と して進まず、ドナルド・キーンの「明治天皇」はようやく第3分冊まで来ただけである。 そんな中で最近肩がこらずに読んでいる本がプロの囲碁棋士中山典之著の「昭和 囲碁風雲録上・下」である。囲碁は四千年前に中国で発生し、千五百年前に日本に 渡ってきた歴史を持つ。徳川幕府の碁所ができてお城碁を打つ名人上手が生まれ、 幾多の変遷を経て1924年に日本棋院が創立され、現在まで90年の棋院の歴史が ある。その間の伝説的な出来事や名勝負を俯瞰して記録した貴重な文献がこの著 書である。 お城碁は高校時代から親しく鑑賞した馴染みの囲碁集だが、その時の書籍はど こかに紛失して今はない。囲碁の名著といわれる呉清源の回想録「以文会友」と共 に、囲碁を多少嗜む小生にとって大切なバイブルがもう1冊加わった。 9、映画・個展。 それほど紹介するほどのものはないが・・。 ・映画;ナチス裁判を題材にした「ハンナ・アーレント」、独裁者ピノチェト政権を倒した 南米チリ映画「NO」。その他邦画を少々。 ・個展;金澤翔子展。 鎌倉建長寺で毎年開かれている金澤翔子展を見た。障害を持つ書家だが力強い 見事な筆力に感服した。母親で同じく書家の金澤泰子さんが「娘の書には私には ない愛がある。」と話していたが、非才の私にはよく理解できなかった。 10、相次ぐ恩人のご逝去と一連の墓参。 冒頭に記載したように今年は2人の大事な恩人を失った。他にも会社時代の先輩 ・友人・後輩や、文化財の仲間にも先立たれた。釣りの極意を教えてくれ、故障した 竿をいつも修理してくれたかけがえのない釣り友人も若くしてこの世を去った。釣りの 定宿でいつも黙々と世話をしてくれた大船長も先日亡くなった。 人の命の淘汰が激しい年だった。今年の盆には私と家内の両親の墓参りを済ませ、 田舎の父方と母方のそれぞれの先祖の墓参りも済ませた。これで後顧の憂いがなく なり少しホッとした心地がする。 来年はどんなドラマが待ち受けているのだろう。願わくば嬉しい出来事が多からん 事を祈って今年の重大ニュースを締めくくる。 |