亡母13回忌。        08,10,12

  金紙をちぎって貼り付けたような金木犀の花が咲き始め、ほのかな香りがあたり一面に立ち込める10月に
 なると、亡母の命日が近づく。今年は13回忌。一昨年、墓を北鎌倉に移して我が家の菩提寺にしてから初め
 ての回忌法要を北鎌倉光照寺で営んだ。能登や古川、東京から集ってくれた直系の子供4人と、連れ合いや
 孫・ひ孫が総勢12名。数人が都合で欠席したが久し振りの親族大集合である。前夜、葉山の某中華料理店
 で会食をして、当日は11時からの法要とお寺での昼食解散、という慌し日程だったが無事に13回忌法要を
 終了した。洒脱で博識の住職がいつもながらの型破りな法話を聞かせてくれて笑いを誘ってくれた。世の中
 の森羅万象を見つめる目はいつも厳しくそして暖かい。参考になる話を聞くことが出来て感心しきりである。

 13回忌なので抹香くさい話を1つ。回忌には、残された者が回向を行うことによって死者が一日も早く浄土
 に導かれる手助けをする、という意味があるようだ。ものの本によれば、仏教の教えでは、人は死ぬと六道
 (地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人道・天道)の入り口で、生きていた時の行為(善行・悪行)をチェックされ、そ
 の人の行き先を決める裁判が行われる。その裁判は初七日から、二七日、三七日・・・三十三回忌まで行
 われ、地獄行きか極楽行きかの運命が決まる。裁判官は菩薩の化身である13人の王(秦廣王〜法界王
 まで)がこれにあたる。その裁判が行われる区切りの回忌の時にこの世に残された者が回向をするのは、
 判決が出た死者が安らかに浄土に導かれるように祈る行事ということなのであろう。

 「俺は生きている限り良いことだけをやってきたから極楽行きは確実だ。」と豪語する人は次の判定基準を
 みてがっかりするだろう。裁判官がその人の生前の善悪の行為をチェックする判定基準は、仏教における
 「五戒」。現世の人間の守るべき五つの戒めにある。
 1、不殺生・・生き物を殺さない。   2、不偸盗・・盗みをしない。   3、不邪淫・・浮気をしない。 
 4、不妄語・・ウソをつかない。    5、不飲酒・・酒を飲まない。   の五つ。
 (因みにモーゼの十戒には、殺人、盗み、姦淫が入っている。洋の東西を限らず悪い事は悪いのです。)

 少なくとも私は1、と5で失格だ。魚の殺生と長年の飲酒歴は消すに消せない悪行という事になる。悲しい
 かな人間は生命のある動植物を食べて生きているのだから、もともと五戒を完璧に守れるわけがない。
 だとすれば、守ることが出来た「程度」が判定基準になるのだろうか。あとはひたすら祈るだけなのだろう。
 宗教とはうまく出来ているものだ。池波正太郎は言う。「悪人が善行をし、善人が悪い事をする。人を単純
 に善人、悪人と決めつけてはいけない。人間とは所詮そのようなものだ。」 13回忌で亡母の回向。
 南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。

 という訳で無事に法要は終了した。あとは33回忌だが今から20年後、多分私は知らない世界にいて、裁
 判所で「五戒」をたてに攻め立てられ、冷や汗を一杯かいて「それは誤解(ゴカイ)です。」と弁解これ努め
 ている事だろう。あとは若い者に後事を託すしかない。亡母の法事を口実にした親族大集合はこれで終
 わりにして、あとは別の慶事や弔事で集る事にした。出来うれば慶事のみの集合でありたいと願う。

  墓前にて。子供、孫、ひ孫。
  
  今回参加できなかった孫と
  その連れ合い・ひ孫はあと
  15名。