2012年今年の重大ニュース(家族編) 12,12,14

   残念なことだが、今年の我が家の重大ニュースのトップは私の体調異変だろう。
  一病息災というが糖尿に加えて心臓病まで加わったので2病息災になってしまった。
  不老不死の妙薬がある訳でもなし、人にはそれぞれ抗しがたい寿命があるようで、
  どんなに養生しても天命には逆らえない。来るべき時には来るべきものがやって
  くると腹をくくるしかない。

   今年も年の暮れになって著名な舞台女優や歌舞伎役者や才気活発な放浪芸人
  が惜しまれながらこの世を去ったが、身近なところでは私と同い年の親しい友人
  や企業戦士達が今年も数人先立って行った。突然年賀欠礼の葉書が友人の奥
  様から届くと何とも切ない気持ちになる。一緒に仕事で悩んだり、飲んで憂さを晴
  らしたり、笑って快哉を叫んだりした懐かしい仲間の思い出はすべて私の胸のう
  ちだけに残る。
   しかし朗報もあるもの。先日50年ぶりに学生時代の友人と電話で話をした。
  半世紀たっても声に張りがあり、ついつい当方も学生時代に帰って若々しい話を
  した。現金なものである。すっかり元気になってしまった。「散りにし花は幻か、わ
  が若き日の夢なるか・・」 後日旧制2高明善寮の寮歌の一節だと教えられた。

   さる老人が教えてくれた。「歳をとるということは、奇跡を起こす資格ができたと
  いうことです。例えば若い人が走っても不思議でもなんでもない事だが、90歳の
  老人が少しでも走ったらこれは奇跡というでしょう!走るだけでなく沢山の奇跡が
  目の前にぶら下がって待ち受けているのだよ!」
  ポジティブな老人はすごいですね。


  
1、家の改築。
   我が家は築37年になるのであちこち痛みが出てきた。雨戸や障子やドアの締り
  は悪いし、壁や襖の色はくすんできたし、畳も交換時期を過ぎている。調べたら
  シロアリの痕跡もあって早晩手当てが必要だと診断された。
   11月、思い切って家の改築工事に踏み切った。1階の応接間と居間の仕切りの
  壁を取り払って8畳と10畳の和室・洋間の続き部屋にした。和室の壁・障子・襖
  ・畳を明るいものに入れ替えたら見違えるほど居心地の良い広い部屋になった。
  エアコンとテレビも入れ替えた。シロアリ駆除の工事も終えた。これで私の代で
  の大々的な改修工事はおしまいで、あとは次の代にお任せをする。長年の懸案
  だったので胸がすっきりした。

 
 2、狭心症で再度の入院。
   昨年末の急性心筋梗塞入院治療に続いて10月5日の深夜、急に胸が苦しくな
  りニトロの服用でも収まらないので救急車で横須賀共済病院に再入院した。
  カテーテル検査の結果、急性狭心症と診断されたが幸い今回はステント挿入の
  手術はしないで薬物療法を追加することとなり5日間の入院で済んだ。
   しかしいつ再発してもおかしくないとの医師の見立てなのでいわば爆弾を抱えた
  日常生活になる。散歩や軽い運動、野菜中心の食生活など心臓病と糖尿病の
  両方に気を付けた生活を強いられているが、あまり悲観的にならないよう極力
  明るく過ごすことにしている。「ケセラセラ・なるようになるさ!」

 
 3、ゴルフと釣り
   体調異変の関係もあってゴルフと釣りの回数は激減した。ゴルフはとうとう年間
  で6回、アベレージは106という惨憺たる成績だった。AVで100越えはスコアカー
  ドの保存とパソコン記録を始めた20数年間で初めての事。勿論回数の一桁も昨
  年の7回を凌ぐ過去最低でここ20数年で2度目の事。かっては年間7〜80回もラウ
  ンドしたことなどすべて夢のような過去の出来事になった。

   一方釣りも減少した。回数は13回。それでも月1のペースなので趣味としては
  ちょうど良い回数だ。葉山の釣友会と会社の同好会が毎月あって、そのほかに
  個人的な釣行があるのだから年間13回は欠席が多かったということだ。今年は
  釣友10人で能登に遠征して、め鯛釣りに行ったのが目立ったイベントだった。

 
 4、囲碁。
   今年の囲碁は親戚のK7段と定先で4局対局しただけ。結果は3勝1敗。晴れて
  次回からは互先になる。10月に平塚市の1000面打ちに参加してプロと対局す
  るのを楽しみにしていたが、急病のため不参加になってしまった。その他ネットで
  時々対局するが、やはり相手が目の前にいないと囲碁の醍醐味は感じられない。
  横浜の宇宙棋院にもご無沙汰している。松本教室の松本師範は元気だろうか。
  久し振りにお会いしてみたい。

  
5、読書。
   今年読みごたえのあって印象に残った書籍を拾うと、沖縄返還の密約を暴いた
  毎日新聞西山記者をモデルにした山崎豊子の「運命の人」、幕末の台場建設を
  進めた江川太郎左衛門を描いた吉村明の「黒船」、破天荒の天才囲碁棋士藤沢
  秀行の自伝書「勝負と芸」、新田次郎の長編「武田信玄」、尖閣列島の帰属や台
  湾との国交断絶などの難問題をクリアして田中〜大平コンビが成し遂げた日中
  国交回復関連の2冊、福永文夫の「大平正芳」と服部龍二の「日中国交正常化」、
  今読みふけっている伯父のご尊父の遺稿集「洗心余滴」。他文庫本多数。
   1972年の日中国交回復の過程で日本・中国・台湾の首脳が果たした役割と
  度量を知ると、現在の尖閣を巡る軋轢の解決に貴重なヒントを与えてくれる。

  
6、旅。
   大病後に医者から遠出を控えるように言われているので、今年は淋しい記録
  しかない。例年、春と秋にはどこかへ遠出して観光めぐりをしている。今年久しぶ
  りに長野県伊那市の高遠桜と日本三大桜の1つ実相寺の神代桜を見に行って
  きた。宿泊は上諏訪温泉で1泊。
   A去年の12月19日が結婚40年記念なので小旅行を考えていたが、アクシデ
  ントで中止になったので今年の41周年の記念日をささやかに箱根の某ホテルで
  過ごすことにした。(後日詳細)
   Bその他、子供の誕生祝の会食会や孫の誕生祝のホテルバイキングなど。

  
7、葉山町文化財研究会活動。別荘調査。
   葉山町に住んだ著名人の別荘調査をほぼ終了した。調査結果を製本して
  文化財研究会15周年記念誌として発行予定。調査した著名人は時代を彩った
  明治以来の政財界人・学者・文化人達の別荘所有者204名、所有者の経歴、
  別荘所在地の地図と写真を付表にしたA4判約100ページ前後の労作になる。
  この文献が後世まで伝えられる貴重な葉山町の文化遺産になる。

 
 8、ボランティア活動・瓦礫を活かす森の長城プロジェクト。
   遅々として処理の進まない3・11の大震災の瓦礫を資源として活用し、海岸線
  300キロにわたって埋めたてて森の防潮堤を造ろうという壮大なプロジェクトに
  賛同して支援者を募ってきた。学生時代からの友人・仕事関係の友人・趣味の
  友人・親戚関係など多くの人達が趣旨に賛同してくれた。町で触れ合った見知ら
  ぬ主婦達にも募金を呼びかけてきた。
   彼らの協賛金一口500円がポット苗1本になって東北の緑の防潮堤に結実す
  る。防潮堤の候補地の選定や土地所有者の理解、埋め立て工事業者や瓦礫運
  搬業者など利害関係者の暗躍防止など、国や地方自治体の行政指導力が不可
  欠の大プロジェクトである。細川理事長のリーダーシップが期待されるし、実現し
  ないと賛同者を募った私としても皆さんに会わせる顔がない。

  
9、孫の成長。
   すくすくと育った孫は長女6歳、次女4歳になった。毎週水曜日に親子で我が家
  を訪れ、”ジイジイ!”と叫んで傍に寄ってくれる。長女のはるは来年は小学生に
  なる。すっかり幼児から子供になって、赤ちゃん言葉等のくだらない呼び掛けには
  反応しなくなってしまった。なにか理性的な大人の雰囲気の片鱗すら感じられ油断
  できない。次女のすずはまだまだ幼児だが、幼稚園児になってすっかり赤ん坊を
  卒業して”ワカランチン”ではなくなった。幼稚園に行きだすと先生の指導と園児
  同士の人間関係から変われば変わるものだ。2人ともこのまま成長してくれるだ
  ろう。願わくばジジババといつまでも遊んでおくれ。


  
10、後期高齢者の仲間入り。
   今年の7月10日は満75歳の誕生日。町役場から後期高齢者の保険証が送ら
  れてきた。医療費の負担割合が1割となった。老人医療費の財政負担の割合を
  国が5割、現役世帯が4割、自己負担1割にするから、老人は国や現役世帯に感
  謝して節約して病院に掛かりなさいということだ。
   かって健康保険組合の経営にもかかわっていたので、増大する老人医療費の
  肩代わりが企業の健保財政を圧迫していたことは熟知している。それを承知だ
  からこれからは尚更肩身の狭い病院通いになる。病院通いをしないで済む元気
  な老人になりなさいと言われてもむなしく聞こえる。病院の待合室にたむろする
  老人には国や若者から厳しい目で見られる受難の時代である。