2008年我が家の重大ニュース             08,12,26

  今年は年初早々から不幸な出来事で始まった。屠蘇も覚めやらぬ1月2日、我が家の愛犬”ごん”が9歳4ヶ月で
 この世を去った。可愛がった家族の一員なので悲しみは深く、納骨後も遺骨の一部と遺影をを居間に飾って、在り
 し日を偲んでいる。一方、10月29日娘裕子に二人目の女の子が生まれすくすくと成長している。この2つの命に
 関わる悲喜こもごもの出来事はあったが、今年は概ね平穏な一年だった。世の中は”100年に一度”といわれる
 激動の1年だったが、その影響を受けつつも大過なくすごす事が出来た。
  島崎藤村は、家の外の米騒動と家の中の病気の娘の泣き声に囲まれて苦しみ、”家の内も外も嵐だ。”と、小説
 「嵐」に述懐したが、さだめし今年の我が家は、”家の外は大嵐、家の中は平穏無事。”という事になろうか。従って
 今年の我が家は重大ニュースに取り上げるほどの特段の出来事のない平凡な日々の連続だったということにな
 ろう。世は空前の失職ブームと不況で大恐慌目前だというのに・・・。
  長い間気にもとめなかったが、我が家の庭の木々や花々が、冬から春には確実に芽吹き、春から夏・秋にかけ
 て一斉に季節の花を咲かせて命を育くみ、やがて冬支度にかかる様を、そして小鳥達や蝶や虫達、時には台湾リ
 ス等が庭で戯れる様や、何処からか聞こえてくる鶯の可憐な鳴き声や、カラス、トンビの姿などをベランダ越しに
 眺めていると、音もなく静かに過ぎ去っていく平穏な時の流れと変わらぬ日常が不思議にいとおしくなってくる。
 来年は7回目の丑年の年男。8回目の丑年に巡り会えるかどうかは怪しいが、繰り返される1年1年が平凡に平
 穏無事であって欲しいと願う。

                     去年(こぞ)今年
                                貫く棒の如きもの         高浜虚子

  
 1、愛犬ゴンとの別れ。
  昨年9月に家内とカナダ旅行をする時の健康診断では何事もなかったのに、我々の帰国後から様子がおかしく
 なり、とうとう手術の甲斐もなく息を引き取った。我が家の親子5人が勢ぞろいする正月を待ちかねたように、もは
 や立ち上がることも出来ないゴンが、最後に立ち上がって家族1人1人に別れの挨拶をする様にすり寄り、ママの
 膝にコトリと倒れ伏した。享年9歳。今は我が家の菩提寺の光照寺に眠っている。

   
2、孫の誕生。
  予定日を1週間も過ぎてやきもきさせての誕生、命名”すず”。長女の”はる”に続く2歳下の次女である。生まれ
 る前から娘と長女の孫が里帰りをしたので、孫はすっかり我が家に懐き、あちこち物の置き場も知っていて、おも
 ちゃや絵本を取り出してはジイジイに遊び相手を強要する。次女を無事に出産し、帰宅後ほぼひと月我が家に逗
 留したが、家内は可愛い二人の孫の面倒をよく見ている。私も小1時間ぐらいは付き合うがすぐに飽きてしまい、
 到底家内のようにはいかない。”来るもうれし、帰るもうれし。”の心境である。せいぜい孫の好きな魚でも釣って
 食べさせてやるのが爺のお勤めのようだ。眠るか泣くかしか出来なかった孫も生後2ヶ月になってようやく笑顔を
 見せたり声を発するようになってきた。

   
3、亡母の13回忌。
  一昨年、墓を北鎌倉に移して我が家の菩提寺にしてから初めての回忌法要を北鎌倉光照寺で営んだ。能登や
 古川、東京から集ってくれた直系の子供4人と、連れ合いや孫・ひ孫が総勢12名。数人が都合で欠席したが久し
 振りの親族大集合である。前夜、葉山の某中華料理店で会食をして、当日は11時からの法要とお寺での昼食解
 散、という慌しい日程だったが無事に13回忌法要を終了した。洒脱で博識の住職がいつもながらの型破りな法話
 を聞かせてくれて笑いを誘ってくれた。世の中の森羅万象を見つめる目はいつも厳しくそして暖かい。甥の洋之君
 が一足早く初めて墓参をしてくれたし、この日初めて墓参した甥の賢君との二人が顔を見せてくれたので亡父母
 もさぞ微笑んだ事だろう。これで親族のみんながお墓の場所を知ってくれたことになり、私もやっと一安心というと
 ころである。

  
 4、葉山町文化財研究会入会。
  会長の市原さんは釣友会の大御所で釣りのキャリアと腕は釣友会随一である。文化財研究会には昨年から家
 内とゲスト参加をしてきたが、会長からのたっての勧誘で入会する事にした。毎月木曜日に葉山を初め三浦半島
 のどこかの古跡を訪ねてあるく研究グループで、名前ほどには堅苦しくないいわば老人サークルのような仲間達
 である。訪ね歩いた見聞記はその都度HPに記載したとおりだが、足腰を鍛えられる事と古きを訪ねる好奇心に
 そそわれる事がなんとも嬉しい。  

  
 5、釣り、料理教室。
  趣味の釣りと料理には年季が入ってきた感じだ。ようやく胸を張って「これが私の趣味です。」といえる域に近づ
 いた実感が漂う。毎年50回を越えたゴルフは今年は21回。ここ20年で最も少ない回数だった。以前のようなわ
 くわく感や意欲を感じなくなり、失敗してもナイスショットをしてもただ淡々とプレーをするようになってしまった。昨
 年の成績は回数21回、平均スコア94,7、ベストスコア85。ほぼ例年通りの腕前だった。これに引きかえ、釣り
 になると、俄然数段わくわく感が嵩じて、仕掛け作りから熱が入り、釣っている最中も釣り終わってからも、その
 日の釣法の反省を必ずして次回に反映させる様にしている。今年の釣りの回数は29回。とうとうゴルフの回数を
 上回ってしまった。
  一方料理教室通いは今年で5年が経過した。来年は6年生、教室の生徒達の顔は年々変わるが、先生達は
 同じ顔ぶれなので私は生徒のなかでも古参兵になる。和食の基本と上級コース、洋・中華の基本と上級コース、
 蕎麦うちコース、魚料理コースを終了して今はお米料理コースを修行中。月一回横浜西口に通うのが、ちょうど
 良い都会見物にもなって、雑踏の中を新鮮なブラリ散歩となっている。

  
 6、読書。
  今年集中的に読んだ作家は、読み残した池波正太郎と、阿川弘之、藤沢周平、城山三郎、山崎豊子の5人で、
 文庫本にして60冊を超える。他には古典の平家物語などなど。HPの「書評」欄に読後感を書く事にしていたが、
 ついつい面倒でやり残している。昔からの習慣で寝る前に枕元になんらかの本を置かないと落ち着いて眠れない
 が、良い睡眠薬になって快眠の手伝いをしてくれている。
 
  
 6、年金特別便。
  年金問題で国会が揺れているさなか、私宛に社会保険庁から年金特別便がきた。宙に浮いている厚生年金
 のなかに私と思われる年金記録があるので確認してほしいというのである。まさかと思い半信半疑で社会保険
 事務所に出向いて確認をしたところ、間違いなく私の年金記録が宙に浮いている事が判明した。昭和31年大学
 受験に失敗した時、1年間田舎の電鉄に奉職した時の年金が宙に浮いていたのである。50年も昔の、しかもた
 った1年間の田舎の年金記録の持ち主が判明し、50年ぶりにようやく現在の私の年金記録に目出度く出遭った
 事になったわけである。本人ですら忘れていた過去の記憶がこうして明らかにされて年金の追加支給の決定を
 見た事は実に驚くべき事で、社会保険事務所の担当係官の努力に最大の賛辞を送った次第である。今、社会
 保険庁はその仕事振りから結果責任まで社会全体から指弾を受けていて、それは全く許しがたい事実ではあ
 るけれども、その陰では今回のような幽霊年金記録の解決例もある事を忘れてはならない。

   
7、5馬力の船外機購入。
  一昨年購入して取り付けた我が愛艇の船外機が故障して修復不能になり、伝を頼ってまたまた5馬力の中古
 の船外機を格安で求めて取り付けた。早速試運転を兼ねて一色海岸でキス釣りに及び、快調なエンジン音と
 滑りだったのでほっとした。T氏と費用は折半しボートは共同使用に決めているが、私は他の乗り合い船や仕立
 船の機会が多く、最近はトンと利用していない。来春の小あじかキスあたりから改めて乗り出す事にしようか。 

   
8、秋葉原事件、宮城岩手内陸大地震。
  この二つを取り上げたのは私を取り巻く環境と深い関係があるためである。秋葉原事件はその実行犯が私の
 勤めていた会社の契約社員であったという衝撃的事実。二つ目の宮城岩手内陸大地震は、私の郷里とその周
 辺、つまり生まれ故郷の栗原市と高校生活を送った一関市、勤務先の工場のある奥州市が被害地の中心で、
 連日マスコミで報道されて一躍有名になった事による。この事件と天災の後遺症が早く癒えるよう、八方に気を
 配り、情報交換とアドバイスをしたものである。

   
9、旅。
  家内と歩く今年の旅は、遠方を避けて関東周辺に限られた。JASSの企画、文化財研究会の企画、旅行会社
 の企画、会社OBの企画、家族の企画、が主なもの。主な行き先は、小田原一夜城、三島大社と身延山、箱根
 家族旅行、三峰神社、塩原のあじさい見物、江戸探訪、清里、初孫と爺婆の遊び(逗子披露山、横浜アンパン
 マンミュージアム、野毛動物園、油壺マリンパークetc)などである。来年は少し遠方に行く事も考えている。

  
10、その他
  @今年の従兄弟会は不参加。A姪の就職斡旋。B同い年の従兄弟の大病。C株式、投信の大暴落。