能登の旅ー釣りと観光ー 12,10,17 1、プロローグ 10月4日の深夜(5日午前2時)、急に胸が苦しくなって呼吸困難になり冷や汗が出始めた。 昨年末の急性心筋梗塞と同様の症状だった。ニトロを続けて2錠飲んだが一向に回復しない。 決心して救急車を呼び、先に入院治療した横須賀共済病院に再入院した。2時間のカテーテ ル検査の結果は血管の狭い個所はあるが、6月のカテーテル検査の時と狭窄個所に変化は なく、緊急手術の必要性はない「急性狭心症」と診断され薬物治療を続けることになった。 血管を拡張する薬を追加して朝昼夕の食後に服用することになった。これで服用する薬は 糖尿の薬を含めて、朝7錠、昼2錠、夜3錠となり、1年前とは様変わりの薬漬けとなった。 5日間集中治療室の車いす生活をして10月9日に無事退院した。 2、能登釣行の経緯。 過日、K社釣りクラブの飲み会で能登に釣りにいく事が話題になった。後日釣りツアーの概 要を提示したところなんと10名の参加希望があり、早速具体的な検討に入り10月12日(金) 〜14日(日)に実施することになった。釣り場や民宿は能登の弟が手配してくれた。弟の会社 の釣り好きの岡田さん中島さんが全面的に協力してくれ、こちらの参加者も満を持して出発 の日を待ち望んでいた矢先に、冒頭の突発入院が発生してしまった。 自分の都合で折角の計画を中止するのも迷惑を掛けるし、かといって無理に強行して遠方 で再発したらさらに迷惑を掛けるし大いに迷ったが、幸い担当医のお墨付きが出たので、不 安を抱えながらも見切り発車をして、退院3日後の12日早朝5時、車2台で出発し名古屋経 由片道7時間の大遠征のスタートとなった。道中無理をしないことと飲酒は控える事を肝に銘 じての釣行である。 3、旅の顛末 @、東名高速御殿場で仲間2人を乗せ、名古屋・岐阜経由東海北陸道をひた走り午後1時半 に金沢東出口で岡田さん達と落ち合った。兼六園・東茶屋町を見物して志賀町の弟の会社に 立ち寄り工場見学をして七尾の国民宿舎に夕刻到着・宿泊をした。この宿舎は釣り場の七尾 湾まで5分の場所。船長からの連絡で船の出発を1時間早めれば釣り場のベストポジションが 確保できさらに釣果が期待できるとのことで、勿論異論がある筈もなく出船は午前5時とした。 夕食は弟達も出席して大いに盛り上がった。私は肝に銘じていた通り控えめに過ごした。 A、狙いの魚の本命は、め鯛と真鯛。予め8キロの巨大なめ鯛の写真を岡田さんから見せら れていたので前夜の宴会でもその話で持ちきりだった。誰がその幸運にありつけるのか、 いやが応にも期待は高まった。翌朝は無風快晴の秋晴れで波も穏やか。こんな釣り日和は めったにない。まだ暗いうちに出船して30分ほどでポイントに到着。第1投を下して間もなく 幹事のS君がいきなりほぼ10キロのめ鯛を釣り上げた。歓声があがった直後、私に40セン チの真鯛があがった。2船とも好調に釣果があって12時過ぎに納竿したが、め鯛が12本、 真鯛が47センチを筆頭にほぼ10匹、外道は私が釣った35センチのキジハタなどだった。 あらかじめクーラーは少なく持参して釣果は後刻山分けと決めていたので、全員が巨大な め鯛を1匹ずつ持ち帰ることが出来た。 B、下船後、岡田さん達に別れを告げ、輪島の民宿に向かった。翌朝朝市を見て帰宅に決 めていた。私が持ち帰っため鯛を帰宅してから裁くのは難儀なので民宿の主人に頼んだら 快く引き受けてくれた。夕食の食卓にこのめ鯛の刺身を出してもらったが半身の半分で充分 10人前が取れていた。それほど巨大なめ鯛だった。食後輪島の公民館で「御神乗太鼓」と いう民俗芸能を聴きに行ったが、力強いバチ捌きの迫力に吃驚した。翌朝、千枚田を見て 輪島の朝市に行き、思い思いの土産を買い往路同様のコースで帰路に着いた。 C、帰宅後、め鯛の半身を葉山釣友会の友人3人にお裾分けし、高級魚キジハタを煮付け て逗子のKさん宅に差し入れ、残りの真鯛2匹とめ鯛の4分の1を我が家の食材にした。 め鯛の半分を昆布締めの刺身にし、残りを味噌に漬けた。3日後には美味しい味噌漬けの 鯛が食べられる。真鯛は1匹を刺身と潮汁にして食べ、残りの一匹は今思案中だ。 4、エピローグ ともあれ病の急変もなく無事に帰宅できたことがうれしい。そして天候に恵まれ快適な旅を 満喫できたこと、参加者全員が大遠征にふさわしいそれなりの釣果を上げ今回の釣りに満足 してくれたことがうれしい。これはすべて地元の岡田さん中島さんが引率者として大変なお世 話をしてくれたことによる。感謝の念に堪えない。彼らにはお礼として今度三浦半島の釣りを 楽しんでもらおうと幹事が言い出している。能登の”浜ちゃん”2人が横須賀に現れるかどうか はわからないが、思い出に残る素晴らしい今回の能登の旅だった。 |
快晴の七尾湾にて。 高級魚キジハタ。 |